2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、菅田将暉さんが演じる竹中半兵衛が、第9話「竹中半兵衛という男」で登場しました。ドラマをきっかけに、「竹中半兵衛のお墓はどこにあるの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。この記事では、岐阜県の禅幢寺と兵庫県三木市の墓所を、公開されている情報をもとに整理し、行き方や参拝のマナー、史実とドラマの違いまでまとめました。
竹中半兵衛のお墓はどこ?禅幢寺と三木市の墓所の違いと行き方【豊臣兄弟!(菅田将暉さん演)】
竹中半兵衛のお墓はどこにある?禅幢寺と三木市の墓所を整理
竹中半兵衛(重治)のお墓は、1か所ではありません。確認できる主な場所は、岐阜県垂井町の禅幢寺(菩提寺)、兵庫県三木市の平井山のふもと、同じく三木市の栄運寺の裏山の3か所です。どこも「半兵衛のお墓」と紹介されることがあるため、行く前に違いを押さえておくと迷いません。
竹中半兵衛の墓所・ゆかりの場所の比べ方(一般的な整理)
| 場所 | 位置づけ | 参拝のポイント |
|---|---|---|
| 禅幢寺(岐阜県垂井町) | 竹中家の菩提寺・墓所 | 寺院の境内。訪問前に電話確認を |
| 平井山のふもと(兵庫県三木市) | 陣中で病没した地の墓 | 白い練り塀に囲まれた墓。見学可 |
| 栄運寺の裏山(兵庫県三木市) | もうひとつの墓 | 山道が分かりにくく、準備が必要 |
禅幢寺は、半兵衛の菩提を弔うため、子の竹中重門が墓を移したと伝えられる寺です(岐阜県観光連盟の紹介による)。背後の菩提山には居城だった菩提山城跡があり、半兵衛ゆかりの地として知られています。一方、三木市の墓は、半兵衛が三木城攻めの最中に病没した場所にあたります。三木市の公式資料でも、平井山ノ上付城跡(秀吉本陣跡)の西側の山麓に、白い練り塀で囲まれた墓があると紹介されています。
三木市の資料には、地域の人たちが交代で墓所の清掃や管理を続けていることも書かれています。観光地というより、地元の方々が大切に守っている場所だと意識して訪れたいところです。
竹中半兵衛とはどのような人物だったのか
竹中半兵衛重治は、戦国時代の美濃国(現在の岐阜県)出身の武将です。三木市の資料では、生誕地は岐阜県大野町とされ、美濃の菩提山城を拠点にした竹中氏の出身として紹介されています。若い頃は美濃の斎藤氏に仕えましたが、のちに織田信長のもとで羽柴(のちの豊臣)秀吉に従い、軍師として知られるようになりました。
秀吉の中国攻めでは、播磨(現在の兵庫県)での三木城攻めに加わりました。天正7年(1579年)、その陣中で病に倒れ、亡くなったとされています。命日は旧暦の6月13日と伝わり、現在の暦では7月にあたります。享年は30代半ばとされますが、資料によって異なる場合があります。
半兵衛は、同じく秀吉に仕えた黒田官兵衛(孝高)と並んで「二兵衛」と呼ばれることがあります。ただし、軍師としての具体的な働きの多くは、江戸時代以降の軍記物や逸話を通じて広まった面があり、歴史学では慎重に扱われています。どこまでが確かな史実かは、諸説あるとお考えください。
ドラマ「豊臣兄弟!」での竹中半兵衛役・俳優の菅田将暉さんと史実の違い
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で竹中半兵衛を演じているのは、俳優の菅田将暉さんです(報道による)。菅田さんの大河ドラマ出演は、「おんな城主 直虎」「鎌倉殿の13人」に続いて3作目と報じられています。
第9話「竹中半兵衛という男」(放送済み)は、小一郎(のちの豊臣秀長)、藤吉郎(のちの秀吉)らが、半兵衛を織田方に迎えようとする回です。報道によれば、半兵衛は庵にこもって筆談で応じ、藤吉郎が3度目の説得をして仲間になる、という展開でした。中国の故事「三顧の礼」になぞらえた場面だと紹介されています。また、幼い頃から病弱だったという設定も描かれたと報じられています。
ここで、史実とドラマを分けて考えてみましょう。
半兵衛が病弱だったことや、陣中で病没したことは、三木市の資料に「病死」と記されている点とも矛盾しません。一方で、半兵衛を口説く場面の細かなやり取り(庵に仕掛けがある、筆談で応じるなど)は、ドラマならではの創作的な演出と考えるのが自然です。「三顧の礼」で秀吉が半兵衛を迎えたという話も、後世の逸話として語られてきたもので、史実として確実な裏付けがあるとは言い切れません。
ドラマをきっかけにお墓を訪ねるときも、「ドラマの半兵衛」と「史料から見える半兵衛」を分けて眺めると、現地の説明板や資料がいっそう興味深く感じられます。
竹中半兵衛と関わりの深い人物
半兵衛の生涯は、秀吉・秀長兄弟の歩みと重なっています。主君であり、半兵衛を取り立てた織田信長のお墓については織田信長のお墓はどこ?、半兵衛が仕えた羽柴秀吉は豊臣秀吉のお墓、弟の秀長は豊臣秀長のお墓、秀吉の側室となった茶々(淀殿)は淀殿(茶々)のお墓の記事で、それぞれ場所や参拝の作法をまとめています。
三木市の資料によれば、半兵衛の墓所の管理は地元の方々が続けており、禅幢寺も毎年の法要に関わっているとされています。半兵衛が、亡くなった土地でも、故郷の美濃でも、今なお大切にされていることがうかがえます。
竹中半兵衛のお墓への行き方

禅幢寺(岐阜県不破郡垂井町岩手)
所在地は岐阜県不破郡垂井町岩手1038-1、電話は0584-23-0129です(岐阜県観光連盟の掲載情報)。西美濃三十三霊場の16番札所でもあります。拝観時間や駐車場などは、紹介ページには記載がありませんでした。訪問前に、寺院または垂井町観光協会(0584-22-1151)へ確認するのがおすすめです。
なお、背後の菩提山城跡へは、ハイキングコースがあります。観光協会の情報では、JR垂井駅から徒歩約60分、車なら名神高速道路の関ケ原ICから約15分とされています。駐車場は観光駐車場(普通車20台)の案内があります。山歩きの装備や天候の確認も忘れずに。
平井山のふもと(兵庫県三木市)
三木市の公式資料では、平井山ノ上付城跡(秀吉本陣跡)の西側の山麓に、ぶどう畑の中の白い練り塀に囲まれた墓があるとされています。墓の前には専用の駐車場がないとの紹介があり、秀吉本陣跡の駐車場から徒歩約5分、という案内もあります(旅行メディアの情報)。門が17時に閉まる場合があるため、夕方の訪問は特に注意が必要です。公共交通機関では、神戸電鉄の恵比須駅から徒歩30分ほどとする紹介もあります。
三木市の観光案内は三木市観光振興課(0794-82-2000)です。ルートや駐車場の最新情報は、必ず事前にご確認ください。
栄運寺の裏山(兵庫県三木市志染町安福田)
三木市の資料に「もうひとつの竹中半兵衛の墓」として、栄運寺(三木市志染町安福田577)の裏山にあると紹介されています。旅行メディアの体験記では、案内の看板はあるものの、山道が分かりにくいとされています。私有地や管理地に入る場合は、寺院や地元の方の了解を得るのが原則です。無理のない範囲で訪れてください。
お墓参りのマナーと、遠方で行けない場合の供養
半兵衛の墓所は、地域の方々が守り続けている場所です。次のような点に気をつけましょう。
- お墓や塚に腰かけたり、のぼったりしない
- 花や供物を置く場合は、持ち帰りやごみの扱いを現地の案内に従う
- 線香やろうそくは、火の取り扱いが禁止されていないか確認する
- 写真撮影は、ほかの参拝者や地元の方の迷惑にならないようにする
- 田畑や私有地には立ち入らない
法要の日程は、情報源によって異なります。岐阜県観光連盟の紹介では毎年6月、三木市の資料では毎年7月13日に法要が営まれ、禅幢寺も訪れるとされています。参拝したい方は、日程を確認してから出かけると、より丁寧にお参りできます。
遠方でお墓参りが難しい方や、身近に供養の場を持ちたい方には、自宅で納骨できるミニ骨壺「ZAYU(自宅納骨のミニ骨壺)」という選択肢もあります。
遠方で行けないときの、身近な供養のかたち
お墓が遠くて頻繁に参れない、でも手を合わせる場所を身近に持ちたい。そんなときに、自宅でご遺骨の一部やご家族の思いを納める「手元供養」という選択肢があります。歴史上の人物に思いを寄せる気持ちと同じように、身近な方を偲ぶ時間も、無理のない形で続けられます。
出典・参考資料
本記事で使用した情報の出典です(2026年10月13日に出典の記載を整理)。
- 岐阜県観光連盟「禅幢寺」の掲載情報
- 岐阜県観光連盟「菩提山城跡ハイキングコース」
- 三木市の公式資料(平井山ノ上付城跡、栄運寺、竹中半兵衛の墓、菩提寺に関する記載)
- 各メディアの報道(第9話のあらすじ、配役。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトの個別ページでは確認できなかったため二次情報)
寺社の公式サイトで確認できなかった内容は、本文中で二次情報として示しています。拝観時間・料金・アクセスなどは変更されることがあるため、訪問前に各寺社・自治体の公式案内で最新の情報をご確認ください。
本記事は一般的な情報の提供を目的としており、法律・税務・宗教上の判断を要する内容については、個別の事情により対応が異なる場合があります。具体的な手続きやご判断にあたっては、専門家(弁護士・行政書士・税理士・菩提寺など)にご確認・ご相談いただくことをおすすめします。
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