1 中居くんが「分骨」「手元供養」するジャニー喜多川氏の遺骨

元SMAPの中居正広さんが、2020年3月末でジャニーズ事務所を退所することを発表する会見を開きました。その会見の中で中居さんは、「滝沢秀明さんに骨をかっぱらってもらって、その一部を持ってきている」といって、透明の小瓶に入ったジャニー喜多川さんの遺骨をポケットから取り出しました。

中居さんは「遺骨をかっぱらった」とあえて軽い言い回しをしていましたが、もし実際に遺骨を取ってきてしまったとしたら法的に問題が生じます。遺骨を得るということは、刑法190条「墳墓発掘死体損壊等」に触れる可能性があるからです。

参考:刑法第百九十条「死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。」(墳墓発掘死体損壊等)

もちろん中居さんは遺族の許可を得た上で遺骨を分けてもらっているのでしょう。ジャニー喜多川さんの場合、お墓自体は高野山にあるそうなので、中居さんは「分骨」してもらったということになります。「分骨」とは故人の遺骨を複数に分けて扱うことで、複数のお墓に納める、一部を手元供養したり散骨する、一部を本山供養するなど、組み合わせにより様々なケースがあります。

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遺骨の一部を小ぶりでデザイン性のある骨壺にいれて自宅に置いたり、ごく少量の遺骨を入れられるペンダントに入れて身につけたり、身近で故人を供養することを「手元供養」といいます。中居さんは小瓶に入れた遺骨を持っているので「手元供養」をしている、といえるでしょう。SOBANIをサポートするZAYUプロジェクトでは、これを自宅納骨とも言っています。「納骨」の場所を自宅とし、その後の日々の「供養」が手元供養である、という概念です。

手元供養をする人は、故人をいつも近くに感じていたい、という気持ちから少量の遺骨を身につけたり、自宅に置いています。手元供養は、身近な人を失った悲しみやショックを少しずつ和らげていく、遺された人の「グリーフケア」としての一面も持っています。

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大切な人を失くしたことがある人は、ふだんの生活であったことを故人に話しかけるようなことや、何か重要な局面で故人に「見守ってほしい」「力を貸してほしい」と祈ったことがあるのではないでしょうか。実際に中居さんも、一人で挑んだ今回の会見に際して「ジャニーさん力をくれ」という気持ちで遺骨をポケットに入れたと語っています。手元供養の遺骨でなくとも、形見のアクセサリーなどをお守りにしている人もいるかもしれません。信仰心の有無に関わらず、誰しも身に覚えがあるであろう素朴で純粋な祈りや想いからくる行為だと言えます。

2 エンターテイメントとしての「家族葬」

2019年7月ジャニーズ事務所は、代表取締役社長ジャニー喜多川さんが亡くなったことをFAXでメディア向けに発表しました。その中で「通夜・告別式につきましては、ジャニーの子供でございますタレント達とJr.のみで執り行う家族葬とさせていただきますので、何卒ご理解賜りたく存じます。なお、これまでお世話になりました皆様にはお別れいただく機会をご用意する予定にしておりますので、決定次第、ご案内申し上げます。」と述べられています。

その後葬儀についてはこのFAXの通り、ジャニーズ事務所のメンバーである「子どもたち」と「家族葬」が行われ、またファンや一般向けには「お別れ会」が開かれました。会場の設営や葬儀の運営もジャニーズメンバーが行ったそうです。

一般的に「家族葬」とは、家族や親しい友人など10名~多くても30名ほどで行う葬儀のことです。ゆっくり落ち着いた雰囲気の中で故人を見送りたい、葬儀にかかる費用を抑えたい、高齢になり参列者がそれほどいない、といった理由から家族葬は年々増えています。

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このジャニー喜多川さんの「家族葬」はもちろん家族だけの小規模な葬儀、といった意味ではありません。ジャニー喜多川さんの「子どもたち」であるジャニーズメンバー150人が参列するという意味の「家族葬」です。ちなみに近藤真彦さんはジャニーズ事務所の長男、東山紀之さんは次男といわれています。

マイケルを頂点とするコルレオーネファミリー(映画ゴッド・ファーザー)やEXILE、演歌歌手やKPOPの歌手など、特定の集団や人間関係を「ファミリー」というつながりで表現することは少なくありません。ボスやリーダーを父(おやじ、ファーザー)として、血縁のない人を子どもとして見なす、あるコミュニティを親子や家族に見立てる疑似家族はフィクションです。祭壇はステージであり参列者は演者、葬儀は「物語」として演出されるもの。ジャニー喜多川さんの葬儀は、宗教的儀礼とは一線を画したエンターテイメントを生涯追求してきた人らしい「家族葬」であったといえるでしょう。

3 東京ドームでの「お別れ会」

お別れの会は必ず開かれるわけではなく、内容や決まった形式もないので自由に演出をすることができます。決まりがない反面、しっかりしたコンセプトが必要です。ジャニー喜多川さんの場合はしんみりした雰囲気の会ではなく、葬儀同様に「エンターテイメント」にこだわったお別れの会が行われました。

祭壇は東京ドームという大規模な会場に相応しい横幅が35メートル、高さ3.5メートル、奥行き9メートルの非常に大きなもので、祭壇はジャニーさんが好きだったという100鉢の白い胡蝶蘭で飾られました。身に着けていたものなど遺品も展示されました。まさに祭壇は舞台と化しました。

お別れの会は「関係者の部」と「一般の部」の2部構成で、「関係者の部」ではジャニーズ事務所所属のメンバーたちの歌や滝沢秀明さんプロデュースの映像、ジャニーズメンバーからのメッセージ動画などが流されたそうです。黒柳徹子さんなど参列者による献花の後、最後はキャノン砲で祭壇の頭上から銀の紙テープを噴射するいう華やかな演出によって締めくくられました。

「お別れの会」とは、葬儀の後に改めて故人の親しい人たちを集めて開催される集いのことです。「偲ぶ会」ともいわれます。通夜や葬儀とちがって、お別れの会は宗教的な儀礼にとらわれず、親交のあった人々が遺族とともに故人を思い出し、思い出を語り合って偲ぶ機会です。通夜や葬儀から時間が経ってから開かれることが多く、少し気持ちの余裕を持ちながら身近な人や大切な人を失った悲しみをお互いに癒したり、参列者と遺族のこれからの縁をつなぐきっかけになることもあります。

4 ジャニー喜多川さんのお墓は高野山に

ジャニー喜多川さんのお墓は「日本総菩提所」の異名を取る和歌山県の高野山にあります。高野山は117もの寺院が立ち並ぶ宗教都市で、金剛峯寺を総本山とし、その中でももっとも奥に位置するのが奥の院です。「一の橋」と呼ばれる橋から「弘法大師御廟」までは約2㎞の区間。この参道に樹齢数百年の杉木立や膨大な数の墓石群が並んでいて、他にはない圧倒的な存在感を放っています。

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ジャニー喜多川さんは1931年、アメリカ・ロサンゼルスで生まれたアメリカ国籍を持つ日系アメリカ人でした。父親は和歌山県出身の高野山真言宗米国別院第3代主監だったそうです。戦前のロサンゼルスには和歌山出身の人々が多く移民し、とくに1930年代のロサンゼルス港の一角のターミナルアイランドには 3000 人程の日本人漁師のコミュニティが形成されていました。ロサンゼルスの日系人には和歌山出身の方が多いことから、真言宗の信者も多いと言われています。

戦時中に自分も疎開していた和歌山にあり、さらには父親が僧侶を務めていた高野山真言宗の総本山にお墓を建てたジャニー喜多川さん。最後は自分のルーツがある場所をお墓として選びました。

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