モノノケの「役割」を追う
『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』は最近人気の漫画やアニメだが、子どもから大人まで、死霊や幽霊、妖怪への興味はいつの時代も尽きることがない。死んだらどこへ行くのか、何もないのか、死後の世界はあるのか、あるとしたらどんな世界なのか。この世には「死」を経験したことのある人はいないので、死後のことは誰にも分からない。だからこそ人は異界の目に見えないものについて関心を抱き、惹かれ続ける。
日本では、モノノケは古代から中世にかけては、死んだ人の霊であることが多かった。モノノケは、人間に近寄って病気や死をもたらすと考えられていたので、様々な手段を駆使して、退治し、遠ざけなければならないある種の敵だった。一方幽霊は、死者や死体そのものも指し、人間に祟る死霊の意味はなかった。しかし近世以降モノノケは、幽霊、妖怪、化け物と混同され、怪談や物語の中でキャラクター化を強め、現在のように娯楽の対象になっていった。古代~現代まで日本人はモノノケ、幽霊、怨霊、妖怪をどう捉えてきたのか。『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』(中公新書)(外部リンク) を上梓した小山聡子さん(二松学舎大学文学部教授)に話を聞いた。
(インタビュー日2021年5月12日、聞き手:シード・プランニング 與那嶺俊、構成:SOBANI編集部 添田愛沙)
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プロフィール
小山聡子(こやま・さとこ) 1976年茨城県生まれ。98年筑波大学第二学群日本語・日本文化学類卒業。2003年同大 学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。博士(学術)。現在、二松学舎大学文学部教授。専門は日本宗教史。
著書
『護法童子信仰の研究』(自照社出版、2003年)
『親鸞の信仰と呪術―病気治療と臨終行儀』(吉川弘文館、2013年)
『浄土真宗とは何か―親鸞の教えとその系譜』(中公新書、2017年)
『往生際の日本史―人はいかに死を迎えてきたのか』(春秋社、2019年)
『幽霊の歴史文化学』(共編著、思文閣出版、2019年)
『前近代日本の病気治療と呪術』(編著、思文閣出版、2020年)ほか
(このプロフィールは書籍『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』が刊行された時点のものです)
モノノケは病気や死をもたらす
――平安貴族たちは、モノノケは「人間に病や死をもたらすもの」だと考えて非常に恐れ、さまざまな対処をして戦っていた、と本書で述べられています。
小山聡子さん(以下、小山):現在の日本においては、モノノケ、幽霊、怨霊、妖怪は同一視、または混同されることが多いです。しかし、古代から現代までのモノノケ観の変遷を見ると、時代によってそれらは異なるものだと捉えられてきました。
まず、古代において、モノノケは「物気(もののけ)」と表され、正体の分からない死霊の気配や死霊を指しました。もともと「モノ」は神、霊、鬼を、「気」は病を表します。だからモノノケとは、人間に病気や死をもたらす正体不明の何かであり、非常に恐れられる存在だったんですね。
モノノケが正体不明な存在であるのに対して、怨霊は誰か特定でき、社会的に大きな影響を与える霊を言いました。古代に怨霊とされた有名な人物として、菅原道真や平将門などがいます。彼らのような非業の死を遂げたと広く知られた人は、モノノケのように仇となった個人やその近親者に祟って病や死をもたらすだけではなく、社会に疫病や天災をもたらすと考えられていました。
調伏か?供養か?モノノケ特定と処方箋
また、モノノケと怨霊はどちらも怨念を持つ霊ですが、それぞれ対処方法が大きく異なります。病人が出るとまず、陰陽師が占いによって病気の原因を特定します。もしモノノケが原因の病だと分かったら、調伏(ちょうぶく、屈服させて正体などを白状させること)によって対処します。僧が治療者として、加持(かじ、病人の近くで印契や真言などを用いて仏の力を与えること)や修法(しゅほう、壇を設けて本尊を安置し招福や調伏のために行われる祈祷)、読経などによって調伏させる役割を担っていました。その対処が上手くいけば、病が治り、死を遠ざけることができるというわけです。
例えば藤原道長も、自分が斥けてきた貴族たちの怨念を意識していたせいか、モノノケによる病をたびたび患い、そのたびに積極的にモノノケの調伏を行っていました。また、娘彰子の出産の際には、モノノケをヨリマシ(霊媒)に移し、僧侶や陰陽師などを集められるだけ集めて、調伏しようと祈祷させました。
調伏に成功するとモノノケの正体が判明することになります。例えば病気に苦しんでいた道長は、自分が失脚させた藤原伊周を本官本位に復せば病気が治るだろう、というモノノケの言葉を聞いた、といいます。つまりモノノケの正体は、伊周の一族の誰かである、ということです。
調伏によって判明したモノノケの正体によって、それへの対処法は異なりました。もしモノノケの正体が崇めるべき霊や神だったら、要求に従ったり、祀ったり、供養したりします。逆に崇めるべき存在でないとわかれば相手によって、さらに調伏を続けました。
病気治療の手段として有効だと考えられていた霊の供養には、次のような例があります。1015年、三条天皇は眼病を患っていましたが、これは故冷泉院の「邪気」(じゃけ)のせいだと考えられ、その邪気を一人の女房に憑依させました。憑依させている間は目が見えたというんですね、今で言うとプラシーボ効果(思い込みによって病気が治る)でしょうか。その後、三条天皇は、父冷泉院の霊が苦しんでいる。父は政敵ではないので、供養して成仏させれば眼病は治ると考えて、調伏ではなく供養を選びました。
先祖の霊が「復讐代行」
――現在では、お化けや幽霊、妖怪が人間の友達になり、人間を助けるような物語も多くあります。平安貴族にとってモノノケは、病や死をもたらすので畏怖される存在だったということですが、人と交流するようなモノノケもいたのでしょうか?
小山:基本的にはモノノケは、正体が分からない、病気や死をもたらすものでしたが、正体が
明らかになった後には、人と様々な形で関わることもあったようです。
殺人や復讐を依頼される霊の話は少なくありません。例えば先祖の霊に殺人を依頼した次のような話が残っています。
夫である関白藤原師道は新しい妻(藤原信子)を娶って、元の妻の藤原全子を離縁した。藤原全子はそれを恨み、元夫と新妻に復讐をしようと考えた。そこで亡くなった自分の父親(右大臣だった藤原俊家)の霊に、元夫と新妻への復讐を依頼した。すると父の霊は「私が必ず報いよう」と復讐を約束した。それからほどなくして師道は亡くなり、新しい妻も零落した。
先祖の霊は、自分の子や子孫を苦しめた者に病や死をもたらすと考えられていました。霊は一族にとって、自分の願いを聞き入れてくれる、現世に生きる人間が持っていないようなパワーを持った有難いものでもあったんですね。一族の繁栄を妨害する仇への報復は、一族を守る役割を担っていた先祖霊のなすべきひとつの仕事だったのでしょう。現在でも、お墓や仏壇の先祖に向かって、供養や冥福を祈るだけではなく、自分の願いが叶うように祈ることはあります。この時、先祖の霊は神に近い存在として扱われています。
親しくなったり、騙されたり…霊との付き合いもいろいろ
人間と霊が親しくなった例もあります。小松の僧都の霊と藤原道長の息子教道の話です。
小松の僧都は道隆の息子・隆円のことで、教道とは敵対関係にあった。小松の僧都の霊は、教道の北の方が出産するたびに現れていたので、教道はそのうちすっかり心を許してしまい、数年にわたって吉凶を告げてもらうほどの仲になっていた。1023年、出産した教道の北の方の様態が急変。僧侶に加持をさせたところ、小松の僧都の霊が現れて、加持ではなく読経をするように求めた。教道は小松の僧都の霊をすっかり信じていたので、言われた通りに読経に切り替えたところ、北の方は死んでしまった。
教道は霊に騙されたということですね。このように、霊と人間はヨリマシ(霊媒)を通して、親しくなったり、官位や供養を要求したり、騙したり、関わりを持っていました。
死んで復讐する、というチャンス
死んだら無になるのではなく、成仏できることもあるし、成仏できずに霊として人間に悪事を働くこともある。無念の死を遂げて成仏できなかったとしたら、死後に霊として復讐できるチャンスもある。このことは、現世を生きる人にとっては、ある意味で希望でもありました。逆に、悪いことをしたら報復されるかもしれない、と恐れることによって、他者を傷つける横暴な言動を自重させる装置にもなり、社会の均衡を保つ役割もモノノケは担わされていました。
「神の調伏」という禁忌が破られる
――「中世前期は、神が篤く信仰された一方で、人間の都合によって神を蔑ろにする行為も憚りなくされるように」なり、それ以前はタブーだった神の調伏が行われるようになります。
小山:当時、疫病はウイルスではなく疫神がもたらすものだと考えられていました。本来、神を調伏することは禁忌だったので、神は陰陽師によって、禊や祓、祭によって対処され、病気を治すために神の要求を聞くこともありました。例えば疫神は牛肉が大好きだと考えられていたので、牛肉をあげて去ってもらっていました。
しかし、だんだんこの疫神のような、特に本地をもたない神が粗略に扱われるようになっていきます。タブーだった疫神の調伏をし、やっつけようとするんですね。本地を持つ神であっても、粗略に扱われた事例も多くあります。例えば、住吉大明神は性信によって呪縛され、呪縛を解いてもらえずに抗議しています。
14世紀になると、本地をもたない神とモノノケ、霊魂の区別はますます曖昧になります。覚如は疫神を調伏すべきだと言い、存覚は祟る生霊や死霊は「劣位の神」だと言っています。人間の自己都合が優先されるケースが出てきます。
憑かれるプロ・物付
――12世紀以降は、モノノケを退治する担い手に変化があり、その手法も囲碁や双六なども出てくるなど多様化していったのは何故でしょうか?
小山: 12世紀になると物付(ものつき)と呼ばれる者がヨリマシの担い手になっていきます。
ヨリマシにモノノケを憑依させ、調伏した後に病気がよくなった時点でモノノケは放出されます。それまでは偶発的に近くにいる女房などに憑くこともありましたが、この憑依から放出までは1か月以上かかることもあり、片手間にできることではなくなっていきます。そして巫女や、憑依されるのに長けた女房などが、職業または半職業としてヨリマシを務めるようになりました。これが物付です。物付には褒美が与えられました。
以前は、モノノケの調伏において、女房はモノノケに憑依される対象であり、受動的な役割を担っていました。しかし、この頃には物付の技量によってモノノケの調伏が成功するかどうかが左右されるようになり、能動的な役割をするようになっていきます。
何でもあり?多様化する病気治療法
囲碁や双六、将棋はもともと占いや儀式に用いられていましたが、病気治療時にも使われました。後白河法皇が双六によって病気治療をしたことは、いくつかの史料で確認できますし、禅林寺の深覚僧正が危篤の藤原教道に囲碁を勧めたところ治ったとか、その他にも将棋や和歌など、モノノケによる病気の治療法が変化していきます。出産時の祈祷に携わった巫女(物付)の傍らに双六盤が描かれ、物付がモノノケの調伏時に、囲碁盤を打ったことも記されています。
中世後期、依然としてモノノケは病気の原因の一つではありましたが、次第にモノノケの存在感は薄れていきます。民間医が活躍し始めて、数多くの医書も編纂されるようになり、病気の治療に関して医療の占める割合が大きくなっていったからです。
病死からエンターテイメントへ
――近世になると、モノノケは医療の発達によって「病の原因」という役割を徐々に失っていったのですね。
小山:近世には「モノノケ」という言葉は、源氏物語や栄華物語といった過去の物語の中に出てくるものとして語られることが多くなります。モノノケは、祟る性質を持つ幽霊や妖怪と混ざって、現実的に病をもたらす対象ではなくなっていきました。
『稲生物怪録』では平太郎に次のような怪異が次々に起こります。
- 寝ていたら胸の上に老女の首が飛びかかってきた。
- 巨大な毛むくじゃらの手に鷲づかみにされた。
- 物置の戸口を巨大な婆の首が塞いでいた。
- 「魔王の類」だという大男が現れて、平太郎に話をして礼を言った後、供の者と一緒に駕籠に乗り込んで空に上がり消えた。
医療の発達もあって、モノノケはもう病や死の原因としては扱われなくなっていきました。調伏や供養が必要なものでもなく、文芸作品の中で語られる滑稽さを帯びた娯楽の対象になっていきます。この時代には、怪談が大流行します。大きな戦乱がなく、比較的平和な時代だったので、刺激的な話が求められたのでしょう。幽霊や妖怪が怪談や、カルタや双六、草双紙で語られるようになり、モノノケは幽霊や妖怪の影に隠れるようになります。
現代社会の問題は「妖怪のせい」
――個々の時代のモノノケは、その時代に生きた人間の精神世界を映し出す鏡である、と本書の終盤に書かれています。現在のモノノケは何を表しているのでしょうか?
小山:現在の日本においてはモノノケと妖怪の区別は不明瞭で、モノノケ=妖怪、と捉えられています。水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』や『妖怪ウォッチ』の影響が大きいのでしょう。
現在の物語では、社会問題や自分の問題を「妖怪のせいにする」傾向があります。自分のせいではない、妖怪のせいだと考えることによって、心が楽になる効果があるのでしょう。日本社会の現在と重ね合わせて考えてみると、生きづらさを感じたり、軋轢を生んだりする場合に、妖怪に「緩衝材」としての役割が期待されているのかもしれません。
最近のコロナ禍では、アマビエが話題ですが、実際にアマビエが疫病から救ってくれると現代社会において本気で思っている人はいません。しかし、このような大変な時代にアマビエの面白く、可愛い見た目やキャラクターによって和んだり、癒されたりすることがある。
現代のモノノケは人間に寄り添ったり、助けたり、ペットや友だちのような、時に人間にとって都合のいい存在として語られます(『犬夜叉』『妖怪ウォッチ』『夏目友人帳』など)。現在は孤独死などの社会問題もありますが、人とのつながりや関係において難しさを感じ、他者との距離ができやすい社会です。人間ではない妖怪や鬼の物語が人気を博しているのは、苦しい社会状況において助けてくれる、癒してくれる役割がモノノケに求められているからではないでしょうか。(以上)
『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』
小山聡子 著
中公新書 刊