私たちが知らない、お墓の近現代史 ― 混乱期を迎えている「墓の今」の背景にあるものは

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一般的な「お墓」のイメージといえば、お寺や霊園の一区画に立てられた石の角柱に「○○家先祖代々の墓」と名字が刻まれた「家墓」ではないだろうか。亡くなった人の遺骨を骨壺に入れて1つのお墓に納めていく。そのお墓は代々に渡って子孫が継いでいくものだ。

しかしこの「先祖代々の墓」が今、少子化や非婚、離婚、再婚、事実婚など、多様化し変わり続ける家族のカタチに合わなくなり、限界を迎えている。一人っ子同士の結婚だが両家の墓を今後どうしたらいいか、親が亡くなったが遺骨を納める場所が決まっていない、お墓を継ぐ人がいない、独身や配偶者と死別した自分は誰にどう弔われるのか…。維持や管理、購入や継承、そもそもお墓自体要るのかどうか。それとも散骨や樹木葬、手元供養など「お墓」以外の「新しい」埋葬方法や弔い方を選ぶのか。混乱期を迎えているともいえる「お墓」の今、悩みや不安は人の数だけあるのではないか、と思えてくる。

index 目次
  1. 1. 「先祖代々の墓」は伝統的習慣と言えるのか?
  2. 2. 4代前の先祖の墓を知っているか?
  3. 3. 江戸時代後期まで、墓を営むことが庶民には禁止されていた
  4. 4. 家墓が現れ、「墓に入る権利」が確立されていく明治時代
  5. 5. 現代の家墓に近づいていく大正期
  6. 6. 墓じまい問題が今以上に深刻だった昭和初期
  7. 7. 戦後の経済成長とパッケージ化墓石
  8. 8. 「弔われる権利」を再考する

1 「先祖代々の墓」は伝統的習慣と言えるのか?

「イエ」を単位とした「先祖代々のお墓」や「お墓参り」はどちらも日本人にとってはなじみのあるものだ。納骨、法要、お彼岸には寺を訪れ、○○家と刻まれた「四角い石」の前に家族、親族と集う。黒い服を着て、お墓をきれいに整えて花や線香を供えて手を合わせる。理由や意味はよくわからないけど「そういう風にするものだから」とやっている人も多くいるだろう。

しかし私たちはお墓について意外にもほとんど知らないのではないだろうか。長く続いてきた伝統的な生活習慣のような印象があるが、一体どのくらい古く歴史があるものなのか。お墓の近現代史を学ぶため、これからのお墓と弔いについての考えるヒントを求めて気鋭の若手宗教社会学者のもとを訪ねた。

2 4代前の先祖の墓を知っているか?

近代日本の先祖祭祀と墓制を研究対象とする問芝志保さんは、大学進学を機に茨城県に引っ越すまでお墓を見たこともお墓参りをしたこともなかったという。出身地である札幌では、墓地というのはほとんどが郊外にあるもので、そのためお墓を目にする機会がなかったからだ。にもかかわらず、テレビで先祖や亡くなった人に語りかけるお墓参りのシーンを見たり、お盆やお彼岸に家族で線香やお花をもってお墓を訪れて手を合わせるという友だちの体験談を聞いたりすることで、「先祖を祀ることやお墓参りをすることは日本人にとって大事なことなのだ」ということを知っていった。人の常識やイメージは、実際に経験したことがなくてもメディアや伝聞を通じて作られていく、そのことを身をもって感じたという。

日本人にとって先祖祭祀とはいったい何なのか。日本人の7~8割がお墓参りを行っているというが、当たり前のように行っている重要な生活習慣であるにもかかわらず、調べれば調べるほど分からない。いつから、なぜ先祖やお墓が大切にされるようになったのか。例えば、日本人はよく「古来から先祖を大事にして祀ってきた」と言われるが、実際には自分の4代前の先祖の墓がどこにあるのかよく分からない、という家はたくさんある。それでは4代前の庶民の先祖観やお墓の大切さとはどのようなものだったのだろう。いつから今のように先祖祭祀やお墓参りをするようになったのだろうか。歴史上ではほんの少し前のことなのに分からないことばかりだ。大学で宗教学を専攻した問芝さんは、その「分からないことばかり」の面白さに惹かれて「墓」の研究に没頭した。

お墓と一言で言っても、死や宗教、家制度や家族、結婚、遺体の処理や埋葬、都市計画や衛生問題を含み、学問的にも宗教学、歴史学、社会学、民俗学など複数の分野にまたがる壮大なテーマだ。今回は一般向けに分かりやすく、日本の墓制の近現代史を問芝さんに解説いただきました。
(取材日2019年11月18日)

問芝志
問芝志保(といしば・しほ)

日本学術振興会 特別研究員PD。1984年札幌市生まれ。博士(文学)。専門は宗教社会学。
2006年 筑波大学第二学群比較文化学類卒業、2011年 大正大学大学院文学研究科宗教学専攻修了、2019年 筑波大学大学院 人文社会科学研究科 哲学・思想専攻 宗教学・比較思想学分野修了。
2019年11月現在、国立歴史民俗博物館外来研究員、聖心女子大学非常勤講師、國學院大學日本文化研究所PD研究員、公益財団法人国際宗教研究所研究員。
最近最も力を入れている研究テーマは、「墓参りをするといいことがある、あるいはしないと不幸が起こる、といった墓に関する俗信が、いつからどのように広まってきたのか?」

3 江戸時代後期まで、墓を営むことが庶民には禁止されていた

遺体は山や川に捨てられる

江戸時代中期の武士や貴族、大商家には、墓を家単位で長男が継いでいくというしくみがありましたが、庶民の場合は墓を営むことが法的には禁じられていました。なかには墓を営む庶民もいましたが、ほとんどは簡単な埋葬や火葬をするか、遺体は山や川に捨てられるなどで、必ず地中に埋められるというわけでもありませんでした。いわゆる孤独死も珍しいことではなかったのです。

庶民にも許されるのは1831年

1831年(天保2年)の「墓石制限令」によって、庶民でも墓を営むことが法的に許されるようになります。しかし、例えば東京で、寺に墓地を建てた場合は、2,3年お布施がなかったら墓は倒され撤去され、次の人がその場所を使うといった状況で、すぐに現代に見るようなお墓が整備されていったというわけではありませんでした。

墓石の形もまちまちだったようです。当時は全国的にみれば土葬が主流で、土葬の場合は基本的に一体ずつ埋めるため、墓石は家単位ではなく個人や夫婦単位でしたし、必ずしも角柱ではなく大きさも統一されたものではありませんでした。この頃までは日本の各地域の習俗や自然環境等によって、さまざまな遺体の埋葬方法や墓の立て方や営み方があったのです。

4 家墓が現れ、「墓に入る権利」が確立されていく明治時代

コレラの流行と葬られる権利

明治以降になると身分や貧富の差に関わらず、すべての人がきちんと葬られる権利を得ることになります。その背景には、都市への人口移動や都市計画、衛生問題があります。1878年(明治11年)から翌年にかけてコレラが流行した際には、伝染病を食い止めるために火葬が推奨されました。西洋に追いついて文明国を目指す中で、町中に死体がごろごろしているのは「見っともない」と認識されるようになり、また遺体の取扱いが人間の尊厳にかかわる問題だと捉えられるようになりました。

法的にも刑法(死体遺棄罪)や民法(「墓地及埋葬取締規則」)などが定められていきました。決まった場所に決まった方法で埋葬され、明治民法第987条「系譜、祭具及ヒ墳墓ノ所有権ハ家督相続ノ特権ニ属ス」とあるように家単位で先祖を祀る、ということになったのです。明治政府は庶民に「名字」をつけ、民法でお墓は個人ではなく「○○家」単位でもつということになっていったのです。

家墓の普及は都市部から

また、個人墓から、カロートという小さな石室のなかに家族の遺骨を納めていくという、いわゆる「家墓」への変化の背景には火葬の普及が大きく影響していると言えます。土葬の場合は一人一人の遺体を埋めるスペースがどうしても必要ですが、火葬した遺骨なら一つの場所にまとめて納めやすいからです。人口の多かった東京や大阪などの火葬率は江戸時代から高かったようで、明治期の法整備と相まって、都市部から「家墓」が普及していったと考えられます。

とはいえ、都市部でも土葬から火葬へすぐに移行が進んだというわけではありません。例えば一つの家族の中でも、「おばあちゃんは火葬なんて絶対にイヤ!」「じゃあ土葬ね」「お父さんは火葬ね」といったように臨機応変に対応していたケースもあったようです。

先祖祭祀を推奨した国民道徳教育

また、明治末期以降には国民道徳教育の中で先祖祭祀や墓参りが推奨され、お墓は大切にするもの、という考えが広がっていきました。その中でドイツ、オーストリアの墓をモデルにする流れがあり、ドイツの大きな霊園を日本人が視察し、資料をもらって帰ってきてそれを参考に霊園を作ろう、という動きもありました。

明治期以降、庶民にもお墓を立てて埋葬することは「権利」として認められるようになっていき、しかも家の財産として墓を遺せるようにする。家墓のしくみは、そういう意味ではすべての人が差別なく弔われることを保証した、という点で評価すべきポイントだと思います。

5 現代の家墓に近づいていく大正期

カロート式家墓は普及してまだ100年も経っていない

戦後すぐの時点では日本でも半分近くが土葬でしたが、現在の日本では火葬率は100%に近く、これは世界第一位です。

遺骨を骨壺に入れカロートに納めると、土葬や遺骨をそのまま埋めるのに比べて、墓地の使用面積が少なくて済む、持ち運びがしやすいので墓じまいしやすく合理的だという特徴があります。
私の調べた限りでは、現在のような骨壺をカロートに入れて、角柱の墓石を建てて○○家と刻む「カロート式家墓」が普及してからはまだ100年も経っていません。

きっかけは関東大震災

東京の都心部で墓地の整備が進められた結果、カロート式家墓の標準化の流れが生まれましたが、そのきっかけとなったのは何か。関東大震災(1923年、大正12年)です。

関東大震災により、今の下町エリアの寺院墓地はほぼ壊滅状態に消失・倒壊しました。それを復興する際に、それまでの寺院墓地は、郊外に引っ越す、墓地を廃止して納骨堂に変換する、墓地面積を従来の3分の1に面積を縮減する、三つのいずれかにすることが定められました。この三つ目の「墓地面積を従来の3分の1に面積を縮減する」を実現するために生まれたのが、カロート式の家墓です。それまでは一つの家の墓地区画の中に、土葬体があったり火葬骨があったり、個人墓や夫婦墓が建っていたり色々だったものを、一つの「○○家之墓」にまとめなければならなくなったのです。

6 墓じまい問題が今以上に深刻だった昭和初期

お墓は代々継いでいくものというイメージの強い現在の感覚では、よく意外に思われるところですが、当時のお墓は「墓じまい」が前提として考えられていました。事実この頃、東京の墓地における一番の問題は「無縁墓の増加」だったからです。それはもう、今とは比較にもならない数で、墓地内の3割が無縁というのが普通でした。

震災や戦争や不況などで、墓地所有者がいつの間にかどこかへいなくなってしまうのでしょう。無縁墓になってしまったお墓をお寺や墓地管理者が無縁改葬をしやすいようにするため、またお寺や寺院墓地の郊外移転、墓地利用者の転居などの際に改葬しやすいようにするため、お寺や霊園の経営的な観点からも骨壺を移動できた方が効率的だったのでしょう。

7 戦後の経済成長とパッケージ化墓石

角柱の墓石の普及に関しては、資料がなく確実なことは言えませんが、とくに高度経済成長期からバブル経済期にかけて人口の増加や地方から都市への移住者の増加によってお墓の需要が高まり、大規模な霊園が開発され、大量の墓石が販売されたことが背景にあるかと思います。昔は元お墓の石を階段や建物の土台に再利用していたようなこともありました。お墓の形にも流行があり、かつては舟形の棹石なども多く見られましたが、これだと再利用しにくい、重ねて運びづらい。角柱は同じ形でパッケージ化した方が運びやすく作りやすいという理由が大きいのではないでしょうか。

8 「弔われる権利」を再考する

お墓はその時代その時代の生活と考え方や合理性によって選ばれてきました。家墓も、近代以降~戦後直後には当時の最新式のスタイルであったし、高度成長期~バブル経済期には多くの人口を抱える日本社会の構造や家族の形態に合った非常に合理的なしくみだったと思います。しかし時代とともに家族のかたちやライフスタイルも変化していきます。100年経ってみれば家墓も、遠くて行くだけでも大変、墓じまいした方がいいか、などお荷物感の強い、きらわれてしまう存在になってしまいました。

同様に今新しいお墓、埋葬の仕方といわれている樹木葬、散骨、宇宙葬などが今の段階では本当にいいのかはわかりません。本当に70年後、80年後にも維持や管理ができているでしょうか。100年経ったらまた新たな問題が起こっている、そう考えるほうが自然ですね。

今お墓を買っている団塊の世代は、比較的お金と時間に余裕がある人が多く、だからこそ埋葬方法にも選択肢があります。しかし、「家」「血縁」単位ではないお墓の継承という観点では、今の団塊の世代よりもこれからの世代の方が深刻です。現在の40代以下は雇用が不安定と言われますし、非婚・未婚化が進む中で、お金がなくてお墓にも入れない、おそらく葬送や埋葬に関して選択する余地もないでしょう。その世代があと20、30年で亡くなる時期に入ってきます。

そもそも無縁や孤独死がかわいそう、というイメージそのものに問題があるのかもしれません。考え方をすこし変えるだけで見える世界は違ってきます。すべての人が平等に弔われる権利をもつ社会―その実現には、ある程度公的な制度として、亡くなっていく人の安心・安全を保障する仕組みが必要だし、方法はあると思っています。今はまだそこまで見据えた議論はできていませんが、若い世代代表として今後も発信していきたいと考えています。
(以上、問芝志保さんのお話から)

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庶民がお墓を建てることを禁じられていた江戸時代から、○○家という家単位でお墓を持つことが許された明治時代。庶民は身分の差に関わらず遺骨をお墓に納め弔われる権利を得た。家単位で遺骨を一つの場所に収納するので省スペースであること、保健衛生上の必要性や火葬技術の発展から火葬が拡がり、骨壺の持ち運びや墓じまいのしやすさ、高度成長期に必要に迫られてパッケージ化された墓石。「家墓」は「ずっと続いてきた日本人の先祖祭祀の心のあらわれ」ではなく、亡くなった人や先祖を偲ぶという気持ちと、近代化や都市化とともに家族の形態や庶民の生活に合った方法やビジネス上の要請が重なり合って選ばれてきた。

骨壺をカロートに納め、角柱の墓石に○○家と刻む「家墓」は長く続いてきた日本の伝統的習慣とはいいきれず、一般化してから100年も経っていない。「代々続いてきた」といってもせいぜい3~4世代くらいだ。

先日「出生数90万人割れ確実 少子化加速、過去最少」というニュース(2019年12月6日)があったが、日本の「家族の規模」は今後も確実に縮小していく。単身世帯や一人っ子の増加などにより、「ずっと続いてきたのに自分の代で終わらせてしまう不安がある」人もいるかもしれない。しかし血縁を中心とした代々墓はそれほど長く続いてきたものではない。お墓のカタチも時代によって変化してきたし、今後も変わっていくだろう。

死後を託せる人がなく自分の死後が心配という人もいるかもしれないが、それは必ずしも家族や血縁ベースではなく信頼できる誰かがいればいいし、今後は問芝さんがいうように弔われる権利を保障し、それを公的なしくみで下支えする必要があるだろう。

参考
岩田重則 『「お墓」の誕生―死者祭祀の民俗誌』 岩波新書 2006年
井上治代 『より良く死ぬ日のために』 理論社 2010年
問芝志保 「関東大震災と家族納骨墓―近代都市東京の墓制―」『宗教研究』393 2018年12月
Text by:添田愛沙
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