※この記事は、大河ドラマ「豊臣兄弟!」で蜂須賀正勝(演:高橋努さん)が登場していることをきっかけに、史実の蜂須賀小六(正勝)のお墓について整理したものです。ドラマの内容は、報道や公式に公開されている範囲にとどめています。
蜂須賀小六(正勝)のお墓はどこ?徳島の万年山墓所とあま市・蓮華寺の違い、参拝の作法【豊臣兄弟!(高橋努さん演)】
蜂須賀小六(正勝)のお墓はどこにある?徳島・あま市・大阪の関係を整理
蜂須賀小六こと蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)の墓は、現在、徳島県徳島市の眉山(びざん)にある「万年山(まんねんざん)墓所」にあるとされています。文化庁の「国指定文化財等データベース」には、国指定史跡「徳島藩主蜂須賀家墓所」の解説として、「家祖正勝の墓は、1971年に大阪から移転改葬されたものです」と記されています(出典:文化庁「国指定文化財等データベース」徳島藩主蜂須賀家墓所)。
ただし、蜂須賀家ゆかりの場所は一か所ではなく、「どこが正勝のお墓で、どこが別の場所なのか」が分かりにくくなっています。徳島には「興源寺墓所」と「万年山墓所」の二つの墓所があり、正勝の生まれ故郷の愛知県あま市にも菩提寺の蓮華寺があります。まずは三か所の違いを表で整理します。
蜂須賀正勝(小六)にゆかりの三か所の違い(一般的な整理)
| 場所 | 位置づけ | 参拝の目安 |
|---|---|---|
| 徳島市・万年山墓所(眉山) | 正勝の墓があるとされる。1971年に大阪から改葬 | 山の斜面にあり、歩ける靴で。公開状況は事前確認 |
| 徳島市・興源寺と興源寺墓所 | 蜂須賀家の菩提寺。歴代藩主の墓所(国指定史跡) | 正勝の墓ではない。位牌所とされる |
| 愛知県あま市・蓮華寺 | 生誕地の菩提寺。位牌と墓碑が残るとされる | 境内参拝自由と案内する情報あり。要確認 |
この表のとおり、「正勝のお墓参り」をしたい場合の中心は徳島市の万年山墓所です。一方、歴代の徳島藩主の壮大な墓が並ぶのは興源寺墓所で、ここは正勝の墓所ではありません。混同しないよう、訪れる前に目的の場所を決めておくと安心です(表は、各公式・自治体・寺院の情報をもとにSOBANI編集部で整理)。
なお、墓所の公開状況(見学できる時間帯や立ち入りの範囲)は、公式の資料で確認できませんでした。お出かけの前に、下の「行き方と注意点」でご案内する問い合わせ先にご確認ください。
蜂須賀小六(正勝)とはどのような人物だったのか
蜂須賀正勝は、1526年(大永6年)に尾張国(現在の愛知県)の蜂須賀郷に生まれ、1586年(天正14年)に亡くなったとされる戦国武将です。享年は61とされています。はじめは美濃の斎藤氏や尾張の織田氏の周辺で活動し、のちに羽柴(豊臣)秀吉の与力、つまり秀吉を支える有力な家臣として、姉川の戦い、中国攻め、山崎の戦いなどで活躍しました。毛利氏との交渉役を務めたことでも知られます(出典:Wikipedia「蜂須賀正勝」〔二次情報〕)。
息子の蜂須賀家政(いえまさ)は、のちに阿波国(現在の徳島県)を治める大名となり、阿波・淡路を領した徳島藩蜂須賀家の基礎を築きました。そのため徳島では、正勝は「家祖」として大切にされています。
「蜂須賀小六」という名で広く知られるのは、江戸時代の軍記物『太閤記』などに描かれた、野武士の頭領のようなイメージによるところが大きいと考えられています。一夜城の逸話や、少年時代の秀吉との矢矧橋での出会いの逸話は、史実としての裏づけが乏しく、後世の創作の可能性が高いとされています(出典:Wikipedia「蜂須賀正勝」〔二次情報〕)。
ドラマ「豊臣兄弟!」での蜂須賀正勝役・俳優の高橋努さんと史実の違い
大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、俳優の高橋努さんが蜂須賀正勝を演じています。報道によると、正勝は第7回「決死の築城作戦」で初登場し、尾張と美濃の国境の川筋を仕切る「川並衆(かわなみしゅう)」の棟梁として、墨俣での築城に協力する人物として描かれています(出典:リアルサウンド、2026年9月配信)。
その後、第37回「秀長の国」(2026年9月27日放送)では、体調のすぐれない正勝が隠居を申し出る場面があり、秀吉、秀長、正勝、前野長康の4人が酒を酌み交わす様子が放送されたと報じられています(出典:デイリースポーツ、2026年9月29日配信)。高橋さん自身も、この場面について、台本にない宴の場面が生まれたことなどを番組出演で語ったとされています。
ここで、史実とドラマの創作を分けて整理しておきます。川並衆の棟梁として一夜城づくりを率いたという人物像は、ドラマの魅力的な設定ですが、史実の正勝が「野武士の頭領」だったという話は、前述のとおり江戸時代の軍記物による創作とされる部分が大きいものです。実際の正勝が、1566年の墨俣城の築城に、前野長康らとともに土豪衆の一人として参加したと伝わっているのは確かです(出典:Wikipedia「蜂須賀正勝」〔二次情報〕)。ドラマの描写を楽しみつつ、歴史の記録とは分けて受けとめると、お墓参りの時の気持ちも深まります。
※ドラマの内容は、報道や公式に公開されている範囲にとどめています。放送されていない回の展開については触れていません。
正勝と関係の深い人物と、あわせて知りたいゆかりの場所
正勝は、秀吉・秀長兄弟とともに歩んだ武将です。この三人の関係をたどると、墓所のめぐり方も立体的に見えてきます。SOBANIでは、同じ「豊臣兄弟!」に登場する人物のお墓の記事も公開しています。
蜂須賀家の側では、正勝のあとを継いだ家政の墓所が徳島にあります。また、蜂須賀家の墓所は高野山の奥の院にもあると紹介されています(出典:Wikipedia「蜂須賀正勝」〔二次情報〕。高野山奥の院での具体的な位置や参拝の可否は、確認できていません)。
正勝の墓が大阪から徳島に移された経緯も、お墓参りの背景として知っておくと理解が深まります。二次情報によれば、正勝は大坂で亡くなり、近くの寺に葬られました。のちに大坂冬の陣(1614年)の混乱のなかで寺が焼け、大坂城の拡張もあって、寺は四天王寺の脇に移され、墓も一緒に移されたとされます。この寺は明治に廃寺となりましたが、大正14年(1925年)には徳島県の有志により墓が修復され、さらに1971年(昭和46年)、現在の眉山の万年山へ改葬されたと伝わります(出典:Wikipedia「蜂須賀正勝」〔二次情報〕。文化庁の解説は「1971年に大阪から移転改葬」の部分に一致)。
蜂須賀正勝の墓所への行き方と、参拝の前に知っておきたい注意点

正勝のお墓参りの中心となる万年山墓所は、徳島市佐古山町にあります(出典:Wikipedia「徳島藩主蜂須賀家墓所」〔二次情報〕)。徳島城跡の南西、眉山の山腹から稜線にかけて広がる、広大な墓域です。文化庁の解説によれば、万年山墓所は1766年(明和3年)に10代藩主の重喜が築いたもので、藩主の一族が葬られています。
万年山墓所までのルート(個人運営サイトの情報による目安)
- 眉山公園へ向かう道路から降りるルートと、大安寺の東側にある登り口から登るルートがあると紹介されています。
- 正勝の墓は、眉山公園へ向かう車道のすぐ近くにあるとされます。歴代藩主などの墓は中腹より下にあるため、見学するなら下の登り口から登るほうが楽だという案内もあります(出典:城郭放浪記〔二次情報〕)。
このように、アクセスや公開状況は公式の案内が見つからなかったため、事前確認が欠かせません。確認の問い合わせ先として、徳島市(にぎわい交流課、電話088-621-5232)、蜂須賀家の資料を扱う徳島市立徳島城博物館(電話088-656-2525)が考えられます。山の斜面を歩くので、歩きやすい靴で、雨上がりや日没前後の時間帯は避けましょう。
興源寺(徳島市下助任町):蜂須賀家の菩提寺で、国指定史跡の興源寺墓所があります。電話は088-623-2570と案内されています(出典:徳島市公式ウェブサイト「興源寺」)。正勝の墓ではなく歴代藩主の墓所ですが、正勝の位牌所とされています(出典:Wikipedia「蜂須賀正勝」〔二次情報〕)。
蓮華寺(愛知県あま市蜂須賀大寺):旅行情報サイトによると、名鉄青塚駅から徒歩約10分、境内は参拝自由とされています(出典:じゃらんnet〔二次情報〕)。寺には正勝の位牌と墓碑が残るとされ、息子の家政との合葬の墓碑があるとも紹介されています(出典:「ニッポン城めぐり」掲載の説明板の文面〔二次情報〕)。なお、寺の境内の森(蓮華寺寺叢)は愛知県自然環境保全地域第1号に指定されています(出典:愛知県「自然環境保全地域」資料)。ここで案内した情報は、いずれも変わる可能性があります。
お墓参りのマナーと、遠方で行けない場合の供養
史跡として知られるお墓でも、そこは「眠る方を偲ぶ場所」です。手を合わせる前に、掃除や飲食の持ち込み、撮影などのルールを確認し、静かに参拝しましょう。お供えを置いたままにしない、ゴミは持ち帰るといった基本的なマナーは、歴史上の人物のお墓でも同じです。
墓所が山の斜面にある万年山墓所のように、気軽に足を運べない場所もあります。ご自分の家のお墓についても、遠くて通えない、承継する人がいない、といった悩みを持つ方は少なくありません。そうした場合は、無理に通い続けることだけが供養の形ではなく、身近な場所に手を合わせる場を持つ「手元供養」という選択肢もあります。遠方などでお墓参りが難しい方や、身近に供養の場を持ちたい方には、自宅で納骨できるミニ骨壺「ZAYU(自宅納骨のミニ骨壺)」という選択肢もあります。
遠くのお墓にも、身近な場所で手を合わせる
お墓が遠方にある、行く機会が限られるという場合でも、ご自宅の落ち着ける場所に手を合わせる場をつくる方法があります。手元供養の考え方や、費用の目安をまとめています。
出典・参考資料
本記事は、以下の情報をもとに作成しています(最終確認日:2026年10月14日)。寺社・自治体の公式サイトで確認できなかった内容は「二次情報」と明記しています。拝観時間・料金・アクセスは変更されることがあるため、訪問前に公式の案内でご確認ください。
- 文化庁「国指定文化財等データベース」徳島藩主蜂須賀家墓所(国指定史跡、2002年9月20日指定)
- 徳島市公式ウェブサイト「興源寺」
- 愛知県「自然環境保全地域」の資料(蓮華寺寺叢、愛知県自然環境保全地域第1号)
- リアルサウンド「『豊臣兄弟!』高橋努が作り上げた愛すべき蜂須賀正勝」(2026年9月配信)
- デイリースポーツ「【豊臣兄弟】蜂須賀正勝役・高橋努 最後の一夜は『台本なかった』」(2026年9月29日配信)
- 二次情報:Wikipedia「蜂須賀正勝」「徳島藩主蜂須賀家墓所」「助任緑地」、城郭放浪記(hb.pei.jp)、じゃらんnet「蓮華寺」、ニッポン城めぐり「蓮華寺説明板」
※本記事の表は、上記の資料をもとにSOBANI編集部で整理したものです。新聞・雑誌等の記事は、要約にとどめています。
本記事は一般的な情報の提供を目的としており、法律・税務・宗教上の判断を要する内容については、個別の事情により対応が異なる場合があります。具体的な手続きやご判断にあたっては、専門家(弁護士・行政書士・税理士・菩提寺など)にご確認・ご相談いただくことをおすすめします。
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