石川数正のお墓は、愛知県岡崎市の本宗寺が墓所として知られています。長野県松本市の兎川寺には夫妻の供養塔があります。この記事では、それぞれの違いと行き方、大河ドラマ「豊臣兄弟!」で数正を演じる迫田孝也さんと史実の違いを、公的な情報をもとに整理します。
石川数正のお墓はどこ?岡崎・本宗寺と松本・兎川寺の違いと行き方【豊臣兄弟!(迫田孝也さん演)】
石川数正のお墓はどこ?結論と3つの寺の違い
石川数正(いしかわ かずまさ)の墓所として知られるのは、愛知県岡崎市の本宗寺(ほんしゅうじ)です。長野県松本市の兎川寺(とせんじ)には、夫妻の供養塔があります。松本市の正行寺(しょうぎょうじ)は、数正の菩提寺とする資料もありますが、石川氏が松本を治めていた時期に城下へ移った寺で、石川家と一定の関係があったことが古文書からうかがえます(松本観光コンベンション協会への問い合わせによる)。お墓があるという公的な案内はありません。
石川数正ゆかりの3つの寺(公的な紹介と観光協会への問い合わせをもとにした整理)
| 寺 | 数正との関わり |
|---|---|
| 本宗寺(岡崎市美合町) | 公式サイトが「石川数正の墓所」を境内の施設として紹介 |
| 兎川寺(松本市里山辺) | 「石川数正夫妻供養塔」が境内にある(実際の墓ではなく供養塔と考えられている) |
| 正行寺(松本市大手) | 石川氏の治世に城下へ移った寺。康長の時代の古文書が残り、石川家との関わりがうかがえる。お墓の公的な案内はなし |
数正は、徳川家康に長く仕えた重臣です。のちに豊臣秀吉のもとへ移り、晩年は信濃国の松本を治めました。生涯の舞台が三河(愛知県)と松本(長野県)に分かれるため、ゆかりの場所も2県にまたがります。
本宗寺(愛知県岡崎市):石川数正の墓所
岡崎市の本宗寺は、数正の墓所がある寺として知られています。本宗寺の公式サイトでも、境内の施設のひとつとして「石川数正の墓所」が挙げられています。
岡崎市観光協会の「岡崎おでかけナビ」によると、本宗寺は応仁2年(1468)に蓮如上人が西三河での教化の中心として創建した寺です。永禄6〜7年(1563〜64)の一向一揆ののち、慶長6年(1601)に現在地へ再建されたと紹介されています。
所在地は岡崎市美合町平地50で、名鉄「美合駅」から徒歩約7分です。拝観できる時間や、お墓の見学の方法は、公的な案内では確認できませんでした。お出かけ前に、岡崎市観光協会(電話0564-64-1637、9:00〜17:00、年末年始を除く)などでご確認ください。
兎川寺(長野県松本市):数正夫妻の供養塔
松本市の兎川寺の境内には、数正と妻の供養塔があります。松本市の公式観光サイトでは「石川数正夫妻供養塔」として紹介されています。
この塔は、遺骨などが納められているわけではないため「供養塔」と呼ばれています。松本市の山辺学校の紹介ページ(学芸員雑記)によると、建てたのはおそらく数正の子・康長ですが、確かな記録はありません。もとは境内の別の場所にありましたが、昭和30年代に現在の本堂の南西に移されたそうです。
SOBANI編集部が松本観光コンベンション協会(松本市観光案内所)に問い合わせたところ、兎川寺には「石川数正夫妻の墓」と称するものがあるものの、実際の墓ではなく供養塔と考えられている、との回答でした。
所在地は松本市里山辺兎川寺2940です。車の場合は松本ICから約20分で、普通車用の駐車場があります。問い合わせ先は0263-32-5310です。同協会によると、供養塔のお参りについて、観覧料や時間の制限が特にあるとは聞いていないそうです(2026年11月2日回答)。寺の行事などで状況が変わることもあるため、気になる場合はお出かけ前に電話で確認すると安心です。
松本駅お城口から徒歩約20分の正行寺(松本市大手5-6-36、電話0263-32-5653)は、松本市の観光サイトの「石川数正を感じるスポット」特集で紹介されています。同協会によると、正行寺は石川氏が松本を治めていた間に、郊外の島立から城下へ移った寺です。本堂の建設にあたり、九州にいた康長に材木の使用の許可を求めた古文書が残っており、石川家と一定の関係があったことがうかがえるそうです。数正の菩提寺とする資料もありますが、お墓の有無は公的な紹介に書かれていないため、お参りを考えている場合は寺にご確認ください。
ドラマ「豊臣兄弟!」で数正役・俳優の迫田孝也さんと史実の違い
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で石川数正を演じているのは、俳優の迫田孝也さんです。NHKの番組公式ページでは、家康の腹心で、のちに秀吉との対立のなかで家康のもとを出奔する人物と紹介されています。
NHK公式のあらすじによると、第39回「茶々の本心」(10月11日放送)では、秀吉が数正を大坂城に呼び、徳川と真田の和睦を命じます。豊臣の財力と勢いを見た数正は家康を説得しようとしますが、家康(演:松下洸平さん)は拒否して戦支度を始めます。続く第40回「あさひの輿入れ」(10月18日放送)では、数正が豊臣方へ出奔し、徳川家中は動揺します。
ドラマの場面は、あくまで脚本による描写です。史実では、数正が天正13年(1585)に家康のもとを離れて秀吉に仕えたことは知られていますが、その理由については諸説があり、はっきりとは分かっていません。ドラマの描写と史実を混同しないよう、お墓参りの際も「史実として確かな部分」と「創作の部分」を分けて楽しむのがおすすめです。
なお、第40回で描かれる、家康と秀吉の和睦と妹・あさひの輿入れについては、旭姫(朝日姫)のお墓の記事で、ゆかりの寺院をまとめています。
石川数正とはどんな人物だったのか
石川数正は、徳川家康(当時は松平元康)に早くから仕えた重臣です。家康の側近として外交や交渉にも関わり、徳川家を支えた人物として知られています。
天正13年(1585)に家康のもとを出て秀吉に仕えたことは、当時の人々にも大きな衝撃でした。その後、秀吉の小田原攻めのあとの天正18年(1590)に松本城を与えられました(国土交通省観光庁の多言語解説資料による)。数正が亡くなったのは、松本に入って約3年後の文禄元年(1592)とされ、文禄2年(1593)とする説もあります。
松本観光コンベンション協会(松本市観光案内所)の回答によると、数正は天正18年に子の康長とともに松本へ来ましたが、1年ほどで松本を離れました。京都で秀吉の御伽衆(話し相手を務める側近)に加わったのち、九州の名護屋へ向かい、その後京都で亡くなって、葬儀も京都で行われたとされています。
国土交通省の資料では、松本城の天守などの整備は、数正の子・康長が進めて完成させたと紹介されています。松本市の観光サイトも、数正と康長の2代が約23年にわたって松本を治め、松本城の整備に深く関わったと伝えています。数正が松本に来てから没するまでが短かったため、城の姿を形にしたのは子の代だった、ということです。
同協会によると、近年の研究では、松本城は石川父子が自らのために建てた城というより、秀吉が権威の象徴として、また家康を見張る要の城として築かせたものと考えられているそうです。かつて家康の重臣だった石川父子がここに置かれたのは、徳川の戦い方をもっともよく知っていたからだ、とも言われています。
子の康長には、松本城に運ぶ巨石をめぐる言い伝えから、その石が康長の官名(玄蕃頭)にちなんで「玄蕃石」と呼ばれるようになった話や、城下の「源智の井戸」に立札を立てて水を守ろうとした話が伝わっています。玄蕃石は、松本城の太鼓門の角に今も残っています(国土交通省観光庁の多言語解説資料による)。康長はのちに大久保長安事件に連座して豊後佐伯(大分県)に流され、89歳で亡くなりました。同協会は石川父子を「松本の城下町の基礎を築いた親子」と表現しています。
家康と秀吉の関係については、徳川家康のお墓と豊臣秀吉のお墓の記事もあわせてご覧ください。
石川数正のお墓参りの行き方と注意点

本宗寺は電車で、兎川寺は車での訪問が行きやすい場所です。いずれも観光地として整備された場所ではなく、住民や檀家の方々が大切にしている寺です。
お出かけ前の確認ポイント
- 本宗寺:名鉄「美合駅」から徒歩約7分。見学の可否は、岡崎市観光協会(0564-64-1637)などで確認
- 兎川寺:松本ICから車で約20分、普通車用の駐車場あり。電話は0263-32-5310。観覧料や時間の制限は特にあると聞いていない(松本観光コンベンション協会の回答)
- 供養塔・墓所には、立ち入りの範囲や撮影の決まりがある場合があるため、寺の方の案内に従う
- お供えやごみは持ち帰り、境内では静かに過ごす
- 早朝・夕方の訪問は避け、日中の時間帯に伺う
松本で石川父子のゆかりを巡るなら(編集部の提案)
松本城の太鼓門にある玄蕃石を見たあと、城下の源智の井戸(松本市中央3丁目)や正行寺を歩いて巡り、最後に車で里山辺の兎川寺へ向かうと、城下町を築いた父子の足跡を順にたどれます。
墓所や供養塔は、手を合わせて静かに偲ぶ場所です。お墓の撮影や、墓石に触れることは、寺の方針に従ってください。
遠方でお墓参りが難しいときの供養のかたち
岡崎や松本は、お住まいの地域によっては気軽に行けない距離です。そんなときは、歴史上の人物を偲ぶ気持ちを、ご自身の身近な供養につなげる方法もあります。
遠方などでお墓参りが難しい方や、身近に供養の場を持ちたい方には、自宅で納骨できるミニ骨壺「ZAYU(自宅納骨のミニ骨壺)」という選択肢もあります。
よくある質問
Q. 石川数正のお墓はどこにありますか?
愛知県岡崎市の本宗寺が墓所として知られています。長野県松本市の兎川寺には、夫妻の供養塔があります。
Q. 兎川寺の供養塔は、墓ですか?
遺骨などが納められていないため、供養塔とされています。松本市の山辺学校の紹介ページ(学芸員雑記)が、そう説明しており、松本観光コンベンション協会も「実際の墓ではなく供養塔と考えられている」と回答しています。
Q. 石川数正は、なぜ家康のもとを出たのですか?
天正13年(1585)に家康のもとを離れて秀吉に仕えましたが、理由については諸説があり、はっきりしていません。ドラマの描写は脚本によるものです。
Q. 石川数正を演じているのは誰ですか?
大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、俳優の迫田孝也さんが演じています(NHK公式)。
Q. 拝観できる時間や料金は?
兎川寺の供養塔については、観覧料や時間の制限が特にあるとは聞いていない、と松本観光コンベンション協会から回答がありました。本宗寺は公的な案内では確認できなかったため、お出かけ前に寺や岡崎市観光協会にご確認ください。
まとめ
- 石川数正の墓所として知られるのは、岡崎市の本宗寺
- 松本市の兎川寺には、数正夫妻の供養塔がある
- 正行寺は、石川氏の治世に城下へ移った寺で、石川家との関わりを示す古文書が残る
- ドラマの数正は迫田孝也さん。出奔の理由は、史実では諸説あり
- 兎川寺は観覧料・時間の制限は特にないとのこと。本宗寺は事前に寺・観光協会に確認する
歴史上の人物を偲ぶ気持ちを、身近な供養にも
お墓参りに行けないときでも、手元で静かに手を合わせる場を持つ方法があります。手元供養や自宅納骨は、急いで決めるものではなく、ご家族と話し合いながら選ぶものです。
出典・参考資料
本記事で使用した事実の出典です(最終確認日:2026年11月2日)。
- NHK 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第39回「茶々の本心」(番組公式)
- NHK 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第40回「あさひの輿入れ」(番組公式)
- 本宗寺ホームページ
- 岡崎おでかけナビ(岡崎市観光協会)「本宗寺」
- 松本市公式観光サイト「兎川寺」
- 松本市公式観光サイト「正行寺」
- 松本市公式観光サイト「石川数正を感じるスポット特集」
- 山辺学校 学芸員雑記「山辺学校と兎川寺」
- 国土交通省 観光庁 多言語解説文データベース「黒門」(玄蕃石)
- 松本観光コンベンション協会(松本市観光案内所)への問い合わせに対する回答(2026年11月2日)
- 国土交通省 観光庁 多言語解説文データベース「The Construction of Matsumoto Castle」
- サライ.jp 石川数正の解説記事(没年の諸説)
※兎川寺の見学条件は松本観光コンベンション協会への問い合わせ回答によります。本宗寺・正行寺の拝観時間・料金・見学の可否は、公的な案内では確認できなかったため記載していません。訪問前に各寺・観光協会へご確認ください。
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