2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、坂井真紀さんが演じる「なか」(のちの大政所)が、秀吉・秀長兄弟の母として登場しています。ドラマをきっかけに、「大政所のお墓はどこにあるの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。この記事では、京都・龍翔寺の寿塔、横浜・三溪園の覆堂、山科・本圀寺のゆかりを、公開されている情報をもとに整理し、行き方や参拝の注意、史実とドラマの違いまでまとめました。
大政所(なか)のお墓はどこ?龍翔寺の寿塔・三溪園の覆堂・本圀寺の違いと参拝の作法【豊臣兄弟!(坂井真紀さん演)】
大政所(なか)のお墓はどこにある?龍翔寺・三溪園・本圀寺を整理
大政所(なか)は、豊臣秀吉・秀長兄弟の母として知られる人物です。お墓にあたる場所は一か所ではありません。もっともよく知られているのは、京都・大徳寺の境内にある龍翔寺に残る「寿塔(じゅとう)」、つまり生前に建てられた墓です。このほか、寿塔を覆っていた建物(覆堂)が横浜の三溪園に移されており、京都・山科の本圀寺にもゆかりの供養塔があると紹介されることがあります。
大政所(なか)ゆかりの墓所・場所の比べ方(一般的な整理)
| 場所 | 位置づけ | 参拝のポイント |
|---|---|---|
| 龍翔寺(京都市北区) | 旧天瑞寺の跡。寿塔が残る | 通常は非公開とされる。事前確認を |
| 三溪園(横浜市中区) | 寿塔を覆った旧覆堂(重要文化財) | 開園時間内に見学できる |
| 本圀寺(京都市山科区) | 供養塔があるとする紹介も | 公式情報では未確認。要問い合わせ |
大政所は、息子の秀吉が建てた天瑞寺(大徳寺の塔頭)で、寿塔に弔われたと伝わります。天瑞寺は明治時代のはじめに廃寺となりましたが、跡地には後に龍翔寺が再興され、寿塔はその境内の西北の隅に残っているとされています。寿塔を雨風から守っていた覆堂は、明治期に横浜の三溪園へ移されました。三溪園の公式情報では、1905年(明治38年)に原三溪が移築した、三溪園で最初の古建築とされています(移築の年は、1902年とする資料もあります)。
なお、高野山にも、大政所の追善のために寺が建てられたと伝わります(青巌寺)。これらは「お墓」というより、供養のゆかりの地として知られているものです。
大政所(なか)とはどのような人物だったのか
大政所は、名を「仲(なか)」と伝える女性で、尾張国(現在の愛知県)の御器所村に生まれたとされています。最初の夫・木下弥右衛門とのあいだに、のちの豊臣秀吉と姉の日秀(「とも」とも伝わる人物)を、弥右衛門の没後に再婚した竹阿弥とのあいだに、豊臣秀長と朝日姫(旭姫)をもうけたと伝えられます。ただし、家族構成や子の順番には諸説あり、はっきりしない部分も残っています。
息子の秀吉が関白にまで上り詰めたことで、「大政所」と呼ばれるようになりました。天正14年(1586年)には、徳川家康が上洛しない状況のなか、朝日姫の見舞いを名目に、大政所が岡崎へ送られたと伝えられます。家康に害意がないことを示すためとされ、約1か月後に大坂へ戻ったとされています。
天正20年(1592年)7月、秀吉が名護屋(現在の佐賀県)にいるあいだに、大政所は聚楽第で亡くなったとされ、享年は77と伝わります。知らせを受けた秀吉は、その場で卒倒したという話も残っています。8月6日に大徳寺で法要が営まれ、翌日に蓮台野で荼毘に付されたと伝えられます。以上は辞典類などの二次的な資料にもとづく内容ですので、詳細は諸説あることをご承知おきください。
ドラマ「豊臣兄弟!」での大政所(なか)役・俳優の坂井真紀さんと史実の違い
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、なか(のちの大政所)を演じるのは坂井真紀さんです。報道によると、ドラマでのなかは、夫を早くに亡くしたあと、女手ひとつで二男二女を育てる母で、息子の秀吉が関白になると「大政所」と呼ばれるようになります。主人公・秀長を演じる仲野太賀さんの母親役は、坂井さんにとって今作で三度目と報じられました。
史実の大政所については、生年や家族構成、秀吉の幼いころの暮らしなど、確かな記録が多くありません。ドラマに登場する母の姿や家族のやりとりは、歴史上の記録をもとにした、脚本上の創作を含んでいます。ドラマで描かれた場面をそのまま史実と受け取らず、「ドラマの母」と「歴史上の大政所」を分けて楽しむと、お墓参りの際にも落ち着いた気持ちで向き合えます。
なお、本記事は、NHKが公開している範囲を超えて、今後の放送内容を先取りして書くことはしていません。
大政所(なか)と関わりの深い人物
大政所を知るうえで、家族や周囲の人物も合わせて見ておくと理解が深まります。
まず、息子の豊臣秀吉と豊臣秀長です。大政所の寿塔は、秀吉が母の病気の回復と長寿を願って建てたものと伝わります。また、娘の旭姫(朝日姫)は、家康との和睦のために嫁いだと伝えられる人物です。
日秀(瑞龍院)は、秀吉の姉にあたり、のちに関白となる豊臣秀次の母です。山科の本圀寺には、1593年(文禄2年)に日秀が寄進した大梵鐘があり、秀吉の両親や木下家一族など200名ほどの法号が刻まれていると紹介されています。
そのほか、人質として赴いた先の徳川家康、豊臣家の行く末に深くかかわった淀殿(茶々)、秀吉の出世を引き立てた織田信長の記事もあわせてご覧ください。
大政所(なか)のお墓への行き方と参拝の注意

龍翔寺(京都市北区紫野大徳寺町)
所在地は京都市北区紫野大徳寺町61、電話は075-492-5466と紹介されています(京都の寺社紹介サイトの掲載情報)。大徳寺の塔頭で、旧天瑞寺の跡にあたります。同サイトには「非公開」と記載されており、通常は一般に公開されていない寺院と考えられます。拝観の可否や時間は掲載されていませんので、訪問前に必ず寺院へ問い合わせてください。私有地や境内への無断での立ち入りは控えましょう。
三溪園(横浜市中区本牧三之谷)
「旧天瑞寺寿塔覆堂」は、三溪園の内苑で見学できます。三溪園の公式サイトでは、開園時間は9:00~17:00(最終入園16:30)とされています。入園料や交通アクセス、休園日は、公式サイトの案内でご確認ください。覆堂は、桐と菊の装飾や扉の彫刻など、桃山時代の雰囲気を伝える建物です。ただし、ここにあるのは寿塔を覆っていた建物であり、寿塔そのものは京都の龍翔寺にあるとされています。
本圀寺(京都市山科区御陵大岩)
所在地は京都市山科区御陵大岩6、電話は075-593-9191です。地下鉄東西線の御陵駅から、徒歩10~15分ほどと紹介されています。一部の紹介記事には、本圀寺に木下弥右衛門・三好吉房・豊臣秀保らとともに祀られた供養塔があるとの記述がありますが、本圀寺の公式情報では確認できませんでした。拝観の可否や供養塔の場所は、事前に寺院へお問い合わせください。
いずれの場所も、拝観時間・料金・公開状況は変更されることがあります。訪問前に、必ず最新の情報をご確認ください。
お墓参りのマナーと、遠方で行けない場合の供養
歴史上の人物の墓所は、いまも寺院や地域の方々が大切に守っている場所です。参拝の際は、境内で大きな声を出さない、立入禁止の場所には入らない、塔や墓石に触れない、ゴミは持ち帰る、といった基本のマナーを心がけましょう。写真撮影が制限されている場所もありますので、案内に従ってください。お供えは、寺院の指示がある場合はそれに従います。
京都や横浜まで足を運ぶのが難しい方も多いと思います。そのようなときは、母に感謝を伝える気持ちで、ご自宅で静かに手を合わせるだけでも、立派な供養になります。身近に供養の場を持ちたい方には、自宅で納骨できるミニ骨壺「ZAYU(自宅納骨のミニ骨壺)」という選択肢もあります。
ご自宅で、身近に供養を
お墓が遠い、お墓参りに行く機会が少ない。そんなときは、ご自宅で故人を想う「手元供養」という方法もあります。ご家族のお気持ちに合わせて、無理のない供養のかたちを選んでみてください。
出典・参考資料
本記事で使用した情報の出典です(2026年10月13日に出典の記載を整理)。
- 三溪園公式サイト「旧天瑞寺寿塔覆堂」
- 龍翔寺・本圀寺に関する寺社紹介サイト・観光案内(二次情報。寺院の公式サイトは確認できず)
- NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイト
- 報道(配役)
寺社の公式サイトで確認できなかった内容は、本文中で二次情報として示しています。拝観時間・料金・アクセスなどは変更されることがあるため、訪問前に各寺社・自治体の公式案内で最新の情報をご確認ください。
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