1 法華経とはどんなお経?

『法華経』は、日本でも大変なじみ深い大乗仏教を代表する経典です。「諸経の王」と呼ばれるほどで、3000を超えるとも言われる大乗仏教の経典の中でも「最高の経典」と言われています。その理由を、法華経研究で有名な仏教学者・植木雅俊さんは、「法華経が、人間は誰でも差別なく、一人残らず、成仏できると説いているから」であり、「一仏乗(いちぶつじょう)と呼ばれるこの考え方は他の経典には書かれていないからだとします(『ほんとうの法華経』橋爪大三郎との共著)。現代においても幅広く人々に受け入れられましたている法華経とは、いったいどのようなお経なのか、まずはその成り立ちについて見ていきたいと思います。

1-1 成立したのはお釈迦さまが亡くなった500年後

法華経が編纂されたのは、紀元前後ころ。つまり、歴史的人物としての釈迦が入滅(にゅうめつ:仏教用語で死を意味する)してから500年の時間を経て編纂されたものとされています。

ちなみに、現存するお経のほとんどは釈迦によるものではなく、釈迦の教えを聞いた弟子たちが口伝によって伝えていき成文化したもので、法華経もそのうちの一つです。

1-2 「法華経」という名前の意味

『法華経』は正式名称を『妙法蓮華経』と呼びます。古代インドで用いられていたサンスクリット語による原題は『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』。「サッ」は正しい、不思議な、優れた、「ダルマ」は法、「プンダリーカ」は清浄な白い蓮華、「スートラ」はお経、を意味します。

法華経は、サンスクリット語以外にもチベット語やウイグル語など、さまざまな言語に翻訳されて流布していきますが、現在日本で知られているのは、鳩摩羅什(くまらじゅう:4世紀頃のウイグル出身の僧侶)が漢字に翻訳した『妙法蓮華経』です。

1-3 法華経に書かれている内容

法華経に書かれている内容は実に多岐にわたりますが、端的にまとめるならば、「人はどんな人であっても仏になれる」と説いた平等思想と人間賛歌。もうひとつは、「歴史上に実在した釈迦は永遠に生き続ける久遠(無限)仏であり、いつでも私たちを見守ってくれている」とする久遠本仏の思想、この2つが挙げられます。

大乗仏教とは、人々を広く救済することを目指していますが、法華経はその思想の極地点にあり、かつ、人々に向けて分かりやすく書かれたことから、さまざまな地域で現在もなお多くの信仰を集めているのだと言えます。

1-4 法華経ができあがる時代背景

法華経が成立するには、当時のインド社会や仏教内での対立などのさまざまな背景があります。

釈迦が亡くなった直後から100年後くらいまでは直弟子たちが活躍し、釈迦の教えを継承していきます。この時代の仏教を「原始仏教」と呼びます。この時期の仏典では、平等思想がはっきりと説かれており、出家や在家の差も、男女の差もなく、みなが仏弟子だと記録されています。

しかし、時代が下ると教団内の意見が対立し、大きな分裂が始まります。伝統的・保守的な「上座部」と言われるグループと、進歩的・革新的な「大衆部」とに分かれ、これらは約20の諸派に分かれます。この時代の仏教を「部派仏教」と呼びますが、この頃になると仏教教団が権威化し、在家信者と女性は仏弟子から排除されていき、そうした動きに反発するものたちが大衆部を組織していったのです。

「上座部」とは、のちの「小乗仏教」へと呼ばれていくグループです。彼らは非常に学問的な研究を行い、僧院にこもって禁欲生活に明け暮れ、他者の救済よりも自己の修行の完成を目指します。ここには、出家者以外は成仏できないという一種の差別思想が内包されていました。

一方の、「大衆部」から始まる大乗仏教は、小乗仏教の中の進歩派たちによって作られていきました。彼らはあらゆる人は仏になることができ平等だとし、他者を救済する仏教を目指したのですが、それは小乗仏教への批判の上に成り立っています。つまり、かつての原始仏教の頃のような平等思想の復権を掲げる大乗仏教も、小乗仏教への差別的思想を残していたわけです。

法華経は、こうした小乗と大乗の差別思想と対立を乗り越える普遍的な平等思想を打ち出すために編纂されたものだと言われています。法華経の真髄は「法華一乗」や「一乗妙法」と呼ばれますが、小乗、大乗のそれぞれを包み込む真実の教え、という意味で「一乗」と呼ばれているのです。

2 法華経の構成と内容

法華経は、28の章節に分けられており、それぞれの章節は「品(ほん)」と呼ばれます。前半の14品は「迹門(しゃくもん)」と呼ばれ、釈迦が弟子たちに誰もが仏になれることを説いています。後半の14品は「本門(ほんもん)」と呼ばれ、釈迦が実在の人間であるばかりでなく、久遠実成(永久不滅の)仏であることを宣言し、菩薩行(=利他行)を実践することで大いなる功徳を得られることを説きます。

以下、法華経の内容を簡単に表にまとめました。

2-1 前半14品―迹門(しゃくもん)

前半の14品(迹門)では霊鷲山にいる釈迦のもとに多くの弟子や菩薩が聴聞に集まり、成仏のへの教えはひとつ(法華一乗)であることを説きます。

内容
第1 序品(じょほん) 法華経のプロローグ。霊鷲山(りょうじゅせん)に集まる弟子や衆生、さらには菩薩や神々が、釈迦によって説かれる『法華経』を固唾を飲んで待っている。
第2 方便品(ほうべんぼん) 前半の中心となる章節。方便とは、悟りに至るための最短の方法。これまで、小乗と大乗とに分かれて仏の教えが説かれていたのは、たった1つの真実の教え(一乗)に導くための方便だと説いている。
第3 比喩品(ひゆほん) 法華七喩の1つ「三車火宅(さんしゃかたく)」という例え話で、方便品の内容を分かりやすく説く。
※法華七喩の1つ「三車火宅(さんしゃかたく)」という例え話で、方便品の内容を分かりやすく説く。
第4 信解品(しんげほん) 法華七喩の2番目「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)」
第5 薬草喩品(やくそうゆほん) 法華七喩の3番目「三草二木(さんそうにもく)」
第6 授記品(じゅきほん) 授記とは予言のこと。摩訶迦葉(まかかよう)ら4人の弟子に、未来の成仏を予言、保証する。
第7 化城喩品(けじょうゆほん) 法華七喩の4番目「化城宝処(けじょうほうしょ)」
第8 五百弟子受記品(ごしゃくでしじゅきほん) 法華七喩の5番目「衣裏繋珠(えりけいしゅ)」500人の阿羅漢(あらかん:聖者のこと)たちが、釈迦より成仏の予言と保証を受ける。
第9 授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん) 阿難(アナン)やラゴラをはじめ、2000人の阿羅漢たちも釈迦より成仏の予言と保証を受ける。
第10 法師品(ほっしほん) 法華経に喜びを感じる者は未来に仏になれると説く一方、法華経を説く者は排斥に合い攻撃されると予言する。
第11 見宝塔品(けんほうとうほん) 霊鷲山の上空に宝塔が出現。中に端座する多宝如来が釈迦を誉めたたえる。
第12 提婆達多品(だいばだったほん) 釈迦を殺そうとした悪人・提婆達多、さらには8歳の龍女ですら、法華経を信じると仏に成れると説く。
第13 勧持品(かんじほん) 法華経を広めるものは迫害されるという予言に対し、不惜身命の決意で教えを広めることを弟子たちが誓う。
第14 安楽行品(あんらくぎょうほん) 法華七喩の6番目「髷中明珠(けいちゅうみょうしゅ)」

2-2 後半14品―本門(ほんもん)

後半の14品(本門)では、釈迦が久遠実成(永遠不滅)の仏であることが宣言され、法華経を信じ、その教えを広めることの功徳が説かれています。

内容
第15 従地湧出品(じゅうじゆじゅっぽん) 地下から無数の菩薩たちが出現する。弥勒菩薩はその菩薩たち見てを「どこのどなたか?」と釈迦に尋ねる。本門の始まりであり、次の如来寿量品への伏線。
第16 如来寿量品(にょらいじゅりょうほん) 法華経の真髄となる章節。釈迦自らが、実在の人間である釈迦は仮の姿で、本来は久遠実成の仏であると説く。実在の釈迦はインドのクシナガラの地で入滅したが、それは教えを説くための方便であり、常にこの世にい続けていると説き示す。如来寿量品を分かりやすく説くために、法華七喩の7番目「良医病子(りょういびょうし)」があります。
第17 分別功徳品(ふんべつくどくほん) 釈迦が久遠の仏であること他に伝えることが大きな功徳となると説く。
第18 随喜功徳品(ずいきくどくほん) 弥勒菩薩に対して、法華経の教えを聞いた者の功徳も計り知れないと説く。
第19 法師功徳品(ほっしくどくほん) 常精進菩薩に対して、法華経を信じて、唱え、伝え、書写する者は、目、耳、鼻、舌、体、意識すべてにおいて功徳が得られると説く。
第20 常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん) どんなひどい仕打ちを受けても相手を敬い礼拝し続けて常不軽菩薩をたたえる。
第21 如来神力品(にょらいじんりきほん) 第15の「従地湧出品」で召喚された菩薩たちに法華経を広めるよう託す。
第22 嘱類品(しょくるいほん) 地涌の菩薩だけでなく、すべての菩薩に法華経を広めるよう託し、多宝如来や諸仏にそれぞれの世界に戻るよう勧める。
第23 薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん) 自らに火を放って全世界を照らした薬王菩薩の物語。
第24 妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん) 34の姿に変身して衆生を助ける妙音菩薩の物語。
第25 観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん) 33の姿に変身して衆生を助ける観世音菩薩の物語。日本では「観音経」という独立したお経として信仰を集めている。
第26 陀羅尼品(だらにほん) 陀羅尼とは真言、呪文のこと。薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天、持国天、十羅刹女、鬼子母神らが陀羅尼を説いて人々を守る。
第27 妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん) バラモン教の王を父に持つ2人の王子が、王を仏教に改宗させる話。
第28 普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん) 法華経のエピローグ。普賢菩薩は釈迦に、法華経を信じる人に必ず救いの手を差し伸べると誓う。

3  法華七喩(ほっけしちゆ)―法華経の教えを分かりやすくした7つの物語

法華経の中には、「法華七喩」と呼ばれる代表的な7つのたとえ話があります。法華経の教えを分かりやすくしたもので、それだけで独立した物語になるほどです。一部をご紹介します。

三車火宅(さんしゃかたく)

ある長者の家が火事になったが、遊びに夢中の子どもたちは気づかない。長者は子どもたちがほしがっていた羊と鹿と牛の車を与えるぞと言って、外に導き出した。その後、さらに立派な大白牛車(だいびゃくごしゃ)という車を与えた。

ここで語られる「長者」は「仏」を、そして「火事になった家」は「苦しみの世界」を、「子どもたち」はそこに生きる「衆生」を表しています。子どもたちを救うために、仏である長者は3つの異なる車を与えてくれます。この3つはそれぞれ、小乗仏教の「声聞(しょうもん)」と「縁覚(えんがく)」、そして大乗仏教の「菩薩(ぼさつ)」という修行者を表しています。衆生はこの修行者たちの教えに導かれて苦しみの世界を免れ、そのあとに与えられた「大白牛車」こそが「法華経の教え」を示します。つまり、3つの車が表す小乗仏教も大乗仏教も大切な教えなのですが、そのいずれもが法華経の「一乗仏」への道であることを例えているのです。

長者窮子(ちょうじゃぐうじ)

ある長者の息子が幼い時に家出をし、50年の流浪ののちに、父の邸宅とは知らずに門前にたどり着いた。父はその窮子(ぐうじ:貧しいもの)がすぐに我が子と悟り、すぐに迎え入れるのではなく、「いい仕事があるぞ」と汚物運びの仕事をさせる。懸命に働く窮子にさらに大切な仕事に就かせ、最終的には長者の財産管理を任せ、窮子が実の子である事を明かした。

長者は仏、窮子は衆生を表し、どんな人でも成仏できる事が説かれています。すぐに救いの手を差し出さず、ぐっと我慢しながら仕事を与えていく長者の父としての眼差しがなんともあたたかく感じられます。

この他にも、さまざまなたとえ話の中に法華経の真髄が込められており、誰もが仏教の教えに触れることができるのです。法華経は、大乗仏教の思想をそのまま体現したお経として、いまなお多くの人にも愛されています。

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法華七喩以外にも、提婆達多のような悪人や、宮沢賢治が『雨ニモ負ケズ』の中に出てくる「デクノボー」をモデルとした常不軽菩薩など、とても人間味あふれる登場人物たちが魅力的なのが法華経です。日本では天台宗が法華経を取り入れたことから、日蓮宗をはじめ、後発の仏教に多大なる影響を与えています。

書店にはたくさんの法華経の入門書が並んでいます。みなさんも、法華経のやさしい教えに触れてみてはいかがでしょうか。