2020年5月6日現在、新型コロナウィルスの感染の拡大を防ぐために、人が多く集まる行事は縮小や延期、中止の対応が取られています。また、都道府県が不要不急の帰省や旅行などを控えるように「都道府県をまたぐ移動自粛のお願い」を出しています。政府の専門家会議が発表した「新しい生活様式」にも冠婚葬祭への言及があり「多人数での会食は避けて」と記されています。

納骨(のうこつ)とは、骨壺に納めた遺骨をお墓や納骨堂などに納めることで、法律的には「焼骨の埋蔵」(しょうこつのまいぞう)といいます。火葬後に自宅に戻った遺骨は、仏教、神道、キリスト教ともに何らかの節目の日を目安にお墓や納骨堂に納められることが多くなっています。

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コロナで納骨も難しくなる

さて、納骨をするタイミングに合わせて、家族や親族が地元に戻ってくる、みんなで集まって故人の遺骨をお墓や納骨堂に納める、食事をしながら故人の思い出話をする…。この「移動」「集合」「会食」が、今まで行われてきた一般的な「納骨」の流れです。ところが現在、この「移動」「集合」「会食」のすべてができない、または非常にしづらい状況になっています。納骨は不要不急なのか、そうではないのか。今後納骨をいつ、どのように、誰とすればいいのか。終息の見通しが立たない中で、亡くなった人やペットの納骨の時期や方法について迷っている人もいるのではないでしょうか。

そもそも納骨はしないといけないものなのか?

ところで、そもそも納骨というものはしないといけないものなのでしょうか。納骨することがあたり前すぎて考えたこともないかもしれませんが、結論からいうと「納骨」自体はしてもいいし、しなくてもかまいません。そもそも遺骨はお墓や納骨堂に納めなければならない、と法律で決められているわけではありません。法律で決められているのは、遺骨を納める(埋蔵する)のであればその「場所」について決められているだけです。

納骨をしないと魂はさまよって成仏できないのではないか、という声を聞くことがあります。遺骨を家に置いたままにしておくと災いや家庭不和が起こると納骨を急かす人もいるようです。また、納骨することが供養することである、遺骨の行き先はお墓である、と強く考えている人もいます。しかしいずれも迷信や俗説にすぎません。

遺骨の保管の方法については直射日光の当たらない風通しのいい場所に置くといった注意点はあります。しかし法律上、納骨は義務ではありませんし、遺族の中には自分が亡くなったら同じ骨壺に入れてほしいと、家族の遺骨を自宅に数十年にわたって置いておく人もいます。

宗教的観点から見ても、日本の仏教の教義上、納骨の必要性があるという話は聞いたことがありません。日本の仏教では故人の魂は四十九日で成仏するといいますが、魂は遺骨に宿っていると考えられているわけではないので、「成仏」と遺骨のありかは関係がないのです。納骨はしなければならないものではなく、むしろ遺された人の心の安寧を重視し、自分のペースで供養をするように勧められています。

このように、遺骨の入った骨壺は、自宅にそのまま置いておいても何の問題ありません。最終的な遺骨の「行き場」をどうするかは考えておく必要はありますが、現在納骨するお墓や納骨堂が見つかっていなければ、自宅に骨壺を保管しながらゆっくり納骨先を探したり、本山納骨や散骨、手元供養など他の方法を検討することもできます。もし納骨や散骨まで自宅に遺骨を置いておけなければ、「預骨」(よこつ)という方法もあります。

「預骨」について詳しくはこちら。

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納骨は、いつするの?

納骨はしなければならないものでもありませんし、もしするとしてもその時期にも決まりはありません。一般的に四十九日法要や一周忌法要の際に併せて行われることが多いですが、いつしなければならない、いつまでにしなければいいと決まっているわけではありません。

亡くなった人をたった一人でお墓に入れたくない、故人や存在を身近に感じていたい、という気持ちがあれば、気持ちの整理がつくまで、悲しみや寂しさが少しでも癒えるまで、家族のそばに遺骨を置いておくこともできます。新型コロナウィルスの影響が落ち着いてからゆっくり考えればよいのです。

条件は考慮すべきだが、納骨してはいけないわけでもない

心の整理をするという意味でも確かに納骨は一つの区切りになります。きちんとやっておきたいという人もいるでしょう。移動や帰省がままならず、人が集まって一つのことを行うのが難しい現在の状況ですが、「納骨をしてはいけない」というわけではありません。延期しなくてはいけないというわけでもありません。中にはお寺や石材店が休業していて法要や納骨を受け付けていない、という状況はありえますが、長距離の移動を伴わず、最小限の人数で、ということであれば納骨を行うことは可能でしょう。

また、前述のように納骨をいつまでにしなければならないというわけではないので、もしすでに納骨の予定をたてていたなら、延期を検討するのも手です。事態が落ち着いたら家族や親族、友人で集まって納骨する機会を設けてもいいでしょう。ただし今はまだ、大人数は避けるべきですし、いずれ今回の新型コロナウィルスの感染が落ち着いたとしても大人数になりそうなら会食は避ける、という配慮は必要になりそうです。

ステイホーム時代の超合理的選択「自宅納骨」の考え

納骨するか、しないかは選択することができ、タイミングや時期にも決まりがない。いずれ納骨できる時期が来れば、お墓や納骨堂に納骨するだけでなく、今どきは、散骨する、本山納骨するといったさまざまな方法があります。

また、いっそ納骨場所を自宅にする、という「自宅納骨」という考え方・方法もあります。手元にいつまでもご遺骨を残しておくことで、実践する供養としてはいわゆる「手元供養」と言われているものと同じです。故人をいつもを近くに感じられるでしょうし、毎日手を合わせられるので手厚いご供養ができるともいえます。冷たくてくらいお墓にいれてしまう寂しさもありません。また、お墓参りに行く労力もなくて済むという、ステイホームの時代には究極の合理的供養方法といえます。

「納骨できない」、「お墓参りにいけない」をストレスにするのは本末転倒

今回のように人の移動や集合、会話といった生活の土台を揺るがすような状況では「しなければならないことができない」「してあげたいことができない」ことに強い不安やストレスを感じることがあります。「故人が寂しくないように家族や親族みんなで遺骨をお墓に納めて見送ってあげなくてはならない」「納骨しないと故人の魂がさまよってしまうのではないか」「納骨を延期してもいつになったらできるんだろう」と、苦しくなってしまう人もいるかもしれません。

しかし、とかく納骨を含む冠婚葬祭は、「しなければならない」マナーやしきたりがあり「しばり」が多いものです。専門家に話を聞いたり、よくよく調べてみると、ただの思い込みや一つの前例、誰も根拠は分からないけどマニュアルに書かれ続けているマナー、実は親せきの○○さんが昔決めたルールだった!などということが少なくありません。自分が知っている範囲や経験より外側に、他のやり方や考え方が見つかることがあります。

生きている人にはまだ時間があり、できることをできる範囲でできるときにする、多様な選択肢や方法を選ぶことができるのです。「できない」ことをストレスに感じて悩むよりも、故人への感謝の思いや安らかな眠りへの祈りを、「できる」手段で深めるほうがより本質的な弔いになるのではないでしょうか。