神道の葬式が少ないのはなぜか

初詣に近くの神社にお参りするという方は多いでしょう。結婚式を神社で、という話もよく耳にします。しかしお葬式を神道式で、というのは非常に少数派です。なぜでしょうか。今回はその点を解説してみましょう。
index 目次
  1. 1. 神道と仏教の関わり
  2. 2. 神道と仏教の死後観、霊魂観
  3. 3. 神式の葬儀も存在する

1. 神道と仏教の関わり

まずは神道とはなにか、仏教とどのように関わりあって現代に至るのかを軽くおさえておきましょう。

神道は日本特有の宗教です。キリスト教のイエス、イスラム教のマホメット、仏教の釈迦のような教祖や開祖が神道にはいませんし、『聖書』や『コーラン』、『法華経などの経典もありません。つまり、特定の象徴やよりどころをもたずに、自然崇拝や祖霊(先祖の霊)、また八百万の神などといいますが、そういった自然発生的ともいえる神々の観念に基づく信仰が神道の基盤です。仏教伝来よりも以前に日本人の文化・生活の中に浸透し、大切にされてきた宗教です。

仏教が日本にやってきたのは6世紀半ばです。以降、神道と仏教は、どちらかがとちらかに取り込まれてしまうというようなことはなく、江戸時代に至るまで延々とバランスよく融合・共存して日本人の宗教性を支えてきました。これを「神仏習合」と呼びます。

しかし、明治に入ると天皇を頂点とした神道を基盤にする近代国家が目指されたため(国家神道)、この新仏習合は明治新政府によって無理矢理に分離されます(神仏分離)。寺や仏像、経典を破壊する「廃仏毀釈」という黒い歴史が日本史に刻まれたのもこの時でした。国家神道は第二次世界大戦の終焉とともに廃止となりました。その後、神社や寺院はそれぞれに宗教法人となり今日に至ります。

2. 神道と仏教の死後観、霊魂観

神道は死を忌み嫌う

神道では、死を忌み嫌います。お寺に墓地が併設されているのはよく見かけますが、神社に墓地はありません。これは神道が死を忌避することを顕著に表しています。また、神棚がある家で死者がでた場合は神棚を半紙で封じますし、喪が明けるまでは神社の境内に入るべきでないとされています。地域のお祭りへの参加も憚られます。

死者の遺体を目の前にしたときに、私たちは愛惜と嫌悪という矛盾にさいなまれます。これまで大切に思っていた人への愛情や親しみがある反面、遺体に対する恐怖や嫌悪が私たちの中で共存してしまう…。腐臭が漂ったり、伝染病を蔓延させたりと公衆衛生上の実際的な問題があることなので、これは日本人に限ったことではない人類共通の情緒反応と言えます。

そして人間の自然な情緒反応通りともいえますが神道は死を「穢れ」として避けます。ところが仏教は死を穢れとして恐れたり避けたりすることはしません。仏教にとって死は、別の世界への転生(輪廻転生)だったり、極楽浄土への旅立ちだったりするからです。

神道と仏教は、死後の世界観が違う

神道の中心的神様は天照大神(アマテラスオオミカミ)で、太陽を象徴します。その反動として太陽の光の届かない「闇」をおそれます。『古事記』や『日本書紀』などで死者の行きつく他界は、黄泉国(よみのくに、よもつくに)、常闇国(とこやみのくに)、根の国(ねのくに)などの暗黒の世界であり穢れた場所です。仏教の来世にきらびやかな極楽浄土があったりするのとはまさに正反対ですね。

よって奈良時代に仏教が伝来してからというもの、人々の死生観のよりどころや死者供養の役割は仏教にゆだられたのです。仏教の「輪廻転生」や「浄土思想」の死後観、それに基づく教義や作法をすでに持ち合わせていたという点が活かされたといえます。

33年で、仏(ホトケ)は神(カミ)になる

日本人は四十九日で仏(ホトケ)となり、三十三年で神(カミ)になると考えてきました。ここには、仏教と神道が手を取り合っている姿が、さらには中国の儒教や道教に見られる祖先崇拝の影響も見て取れます。外来の文化をハイブリッドするのが得意な日本人の民族性がよく表れている考え方といえるでしょう(「先祖を大切にする」という点は宗教性を超えた日本人の思想・文化ともいえます)。

亡くなった人の霊は私たちのそばにいる。しかし初七日、四十九日、一周忌、三回忌と、時間をかけて何度も年忌供養をすることで、死の穢れは少しずつ浄化されると考え、三十三回忌を経て供養は完成。ついに祖霊はその村の氏神へと昇華していくのです。

このことを示したのは日本民俗学の父である柳田国男でした。柳田は『先祖の話』の中でこうした日本人の宗教性を指すために「先祖教」ということばを用いたほどです。どのような宗教よりも先祖を大事にする日本人について、本書の中でこのように記しています。

わたしがこの本の中で力を入れて説きたいと思ふ一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久に国土のうちに留まって、さう遠方へは行ってしまはないといふ信仰が、おそらくは世のはじめから、すくなくとも今日まで、可なり根強くまだ持ち続けられて居るといふことである。(柳田国男『先祖の話』)

そして、宗教学者の藤井正雄は、柳田の『先祖の話』を引用しながら、日本人の来世には「近い来世」と「遠い来世」があるとし、その距離を、時間が分かつものとしています。

新ボトケはこの現世とは近くの死者の国にいるだけに荒魂(あらみたま)であり、鎮魂を行うことがこの世に残されている人々の大事なつとめとなったのであり、仏教との習合が年忌追善の行事となったと考えられる。(藤井正雄「日本人の死生観と他界観」『神葬祭大辞典』所収)

近い来世とは死後間もない霊が集まる穢れの多い場所で、仏教による供養が求められます。そして時間をかけて浄化された祖霊は、清められた遠い来世に赴き、神道式の方法で祀られる。つまり、死者供養の役割が仏教と神道で分けられているのです。子孫たちによる法要や供養によって魂が浄化され、33年経つと位牌を処分してしまう習俗はいまでも見られます。

また「遠い来世」とはいっても、その場所は村のお山だったりします。古い祖霊たちは山の高いところから私たちを見守ってくれているという信仰から、霊山やお山信仰が浸透し、山のふもとや中腹に神社が設けられているのです。

日本人の死生観は、仏教と神道が手を携えあってこそ成り立っているといえます。私たちは神社に初詣に行き、お祭りでは神社に祀られる神様を神輿に担いで里を練り歩きますが、この神社にいる神様は、私たちの古い古いご先祖様に他ならないのです。

亡くなったばかりの死者の供養は仏教に、年月が経って浄化された祖霊は神道に。今でもあたりまえのようにあちこちに存在する仏教のお寺と神道の神社は、日本人にとってこのような役割分担・存在意義で共存しているわけです。

3. 神式の葬儀も存在する

日本書紀にはイザナミノミコトの葬儀の模様がかかれています。古代においては、日本独自の葬送の儀礼が行われていました。しかし前章でみてきたように、奈良時代以降長らく、日本では仏教が葬儀を取り仕切ったわけです。

江戸時代に入ると幕府の寺請制度(てらうけせいど)により、仏教による死者供養はさらに強固になります。寺請制度とは、キリスト教を弾圧するためにキリシタンでないことを寺院に証明するための制度で、庶民は必ずどこかの寺院の檀家にならなければなりませんでした。神職であっても、一般の人と同じように菩提寺を持たなければならなかったほどです。

国学の隆盛と神葬祭

しかし、江戸時代も中期になると、本居宣長や平田篤胤らによる国学が隆盛し、日本古来の文化や精神性の基盤である神道が見直されるようになりました。ここで神道式の葬儀「神葬祭」が盛り上がってきたのです。これは仏教寺院にとっては死活問題で、両者で大きく対立が見られるようになりました。

政府が推した神葬祭

そして明治時代に入り、新政府が神道を基盤とした国家作りを進める中で、神葬祭はいっそう推奨されます。1872年に神葬祭専用墓地として青山霊園が開設されましたが、これがいまの都立青山霊園のはじまりです。さらに翌1873年には仏教の習俗に基づくものとして火葬が禁止されます。新政府は葬儀や供養の神式化をなんとしても推し進めたかったのです。しかし神葬祭は庶民たちにはどうにもうまく普及せず、また火葬の禁止によって土地不足や衛生面でもさまざまな問題が生じたため、1875年に火葬は再び解禁されます。

神葬祭運動の挫折と、第二次大戦後の神葬祭自由化

明治政府は、もともと江戸時代に敷かれていた寺請制度の機能を残したまま、信仰の対象を仏から神に移していくという都合のよい青写真を描いていましたが、実際には長い時間をかけて民衆の中にしみこんだ仏教と祖霊崇拝の結びつきの強さを、強引に神道一色にするには無理があり、大きな反発を招きました。

加えて、近代国家の樹立のためには政教分離と信教の自由を国家の基本方針に盛り込むことが避けられず、政府は宗教政策の方針を大きく転換することとなり明治政府は「神道非宗教論」の立場をとります。政教分離の原則に従って神官は宗教行為である葬儀に今度は逆に関与できなくなり(ごく一部の神官を除く)、神葬祭の普及は挫折に終わります。

そののち、第二次世界大戦後に神道が国家管理から離れて一宗教法人となったことにより、ようやくどの神官も葬儀に関わることが自由になりました。


もともと伝統的に葬儀は仏教の役割が大きかったこと、しかし明治政府の推進により一度は神葬祭が推進されたこと、しかしその神葬祭の推進も混乱の中、挫折を迎えたこと。これが神道のお葬式が0ではないが、多くはない、という日本の近現代史的背景なのでした。

参考
Text by:玉川将人
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