1. 臨済宗ってどんな宗派

臨済宗は、日本の禅宗のうちの一宗派です。14の諸派に分かれ、約7000もの末寺があります。もともとは中国唐代の禅僧・臨済義玄に始まりました。臨済宗を日本に持ち込んだのが栄西で、以降さまざまな流派が成立しました。

1-1. 臨済宗には特定の本尊がない

臨済宗では、他の宗派のように特定の本尊(礼拝の対象とする仏さま)を設けていません。これは、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という言葉にあるように、すべての人の中には仏性(仏さまになれる本性)があるとし、本尊を礼拝することよりも、「お釈迦様の悟りの体験を自分自身の中に自覚すること」を大切にしているからです。

とはいえ臨済宗でも様々な仏様が祀られており、釈迦如来の他にも大日如来、観音菩薩、普賢菩薩など、お寺の縁起によってさまざまな仏さまが祀られています。その他に、脇には中国5つの禅宗(臨済宗、曹洞宗、潙仰宗、雲門宗、法眼宗)の始祖である達磨(だるま)大師や、開山(流派を興した人)の像などが祀られます。

1-2. 臨済宗には特定の経典もない

禅宗には「不立文字(ふりゅうもじ)」すなわち「文字や言葉にして伝えることができない」という考えがあるため、よりどころとする特定の経典はありません。他の宗派ではお釈迦様の説かれた言葉をまとめた経典を重視しますが、禅宗では、お釈迦様が悟りの境地に到達した体験をそのものを大切にします。これは言葉や文字で説明できるものではないため、特定の経典にこだわらないのです。とはいえ、不要だといっているわけではなく、臨済宗でよく読まれる経典に『般若心経』『観音経』『白隠禅師座禅和讃』などがあります。

1-3. 臨済宗には本山寺院が14もある

臨済宗は14派に分かれ、各派ごとに本山寺院があります(黄檗宗を入れて15派とする考え方もある)。もともと禅宗では文字や言葉による教えの伝承ではなく、師匠から弟子へと悟りの教えが直接伝えられていくため、分派しやすい傾向にあり、本山寺院を定めていませんでした。鎌倉室町時代には「五山制度」といって、幕府が官寺(幕府が特別に庇護する寺院)として認めた寺院は大きな力を持ち、これがその後の14の本山体制へと移行していきます。

2. 臨済宗の教えの特徴

2-1. 禅宗とは―始祖・達磨大師

臨済宗は禅宗のうちの一つです(もう一つは曹洞宗で後述の「2-4. 日本の二大禅宗 曹洞宗との違い」をご参照ください)。ではそもそも禅宗とはどのような教えがあるのでしょうか。

達磨大師

中国における禅宗の始祖はかの有名な達磨大師です。日本では置物の「だるまさん」が有名ですが、それも達磨大師に由来しています。

もともと禅宗という宗派があったわけではなく、仏教者のさまざまな修行法の中の一つが座禅でした。座禅は、お釈迦様をはじめ、古代インドでも行われてきた修行法の一つです。達磨は南インドに生まれて5世紀末に中国にやってきた禅僧です。達磨以前にも座禅は中国でも実践されていたと言われていますが、中国では唐代末期ころから座禅がさかんになり、特に座禅を重んじる仏教集団を「禅宗」と呼び始めました。集団が教団化していくと、そのルーツを求める声が高まり、インドから座禅を持ち込んだ達磨が始祖として崇められるようになったのです。

2-2. 達磨大師の「四聖句」

達磨大師の言葉に「四聖句」があります。「不立文字」「教外別伝」「直指人心」「見性成仏」、これら4つの短い言葉の中に禅の真髄が凝縮されています。

不立文字(ふりゅうもんじ)

不立文字は、「文字や言葉にして伝えることができない」という意味です。決して文字や言葉を否定しているのではなく、その限界を示しています。お釈迦様の悟りの境地を、文字や言葉に置き換えて伝達すると、どうしても曲解は避けられません。まずは行動としての座禅の修行を行い、日常生活の中からお釈迦様の悟りの体験に到達することを目指します。

教外別伝(きょうげべつでん)

教外別伝をわかりやすくいいかえると「以心伝心」です。教える側の師匠と、教わる側の弟子が、言葉を用いずに心から心へその真髄を伝えることを大切にしています。安土桃山から江戸前期の禅僧・沢庵和尚の言葉に、「水を説明しても濡れない、火を説明しても熱くならない。本当の水、本物の火に直に触らなければ、はっきりと悟ることができない」というものがあります。禅の世界では、言葉による説明ではなく、体験そのものを大切にしているのです。

直指人心(じきしにんしん)

仏心は人の中にある、という禅宗の説く真理を言い表しています。仏心は人心の中に潜んでいるわけですから、この言葉は、「自分の自身の心を直指しなさい(文字や言葉に頼らずに直に向き合いなさい)」と説いているのです。それこそが、何ものにも動じない無の境地に到達する方法なのです。

見性成仏(けんしょうじょうぶつ)

四聖句の最後は見性成仏。人間誰もが備えている仏性(仏になれる本性)を自覚すれば、おのずと仏になれるという意味です。修行を通して本来の自分を見つめることで、何ものにも動じない状態になれます。仏さまとはどこかにいる対象ではなく、自分自身という主体の中にあるとする禅の教えの最も重要な核となる考えが示されています。

2-3. 座禅や作務を通して無我の境地を目指す

禅の世界では、座禅だけではなく、日常生活ひとつひとつが全て修行として捉えられています。僧侶の日常的な雑事のことを「作務(さむ)」と呼びますが、この中には、掃除や炊事や畑仕事などもすべて含まれます。

もともとお釈迦様が生きたインドでは出家者の生活は在家信者のお布施によって成り立っていたのですが、中国に仏教が入ることで僧侶たちも労働をするようになり、その契機となったのが唐の時代の禅僧・百丈懐海(ひゃくじょうえかい)で、その頃から禅道場に作務が定着していきます。

ちなみに禅道場での生活規則を「清規(しんぎ)」と呼び、清規では、修行者たちの生活上の規則がこと細かに定められています。たとえば、私語厳禁の禅道場では、行動の合図はすべて音で知らせます。木製の板(板:はん)や、鉄製の板(雲版:うんばん)などの叩き方によって、起床、就寝、食事、作務、座禅などを合図します。禅僧は、日常生活の中で自己を見つめ、悟りを見出そうとしているのです。

2-4. 日本の二大禅宗 曹洞宗との違い

日本には臨済宗とは別にもうひとつ大きな禅宗の流派があります。それが曹洞宗です。臨済宗も曹洞宗も、もともと中国に始まった禅宗の流派で、それぞれ中国の禅宗五家に含まれます(その他に、潙仰宗、雲門宗、法眼宗がある)。

日本で曹洞宗を開いた道元は、栄西よりも約60年あとに生まれています。達磨の四聖句にあるように不立文字や見性成仏など、禅の思想の核になる部分において、臨済宗と曹洞宗に大きな違いはありません。しかし、修行観やその方法については全く異なる態度を見せています。

看話禅(かんなぜん)と黙照禅(もくしょうぜん)

臨済宗の禅を「看話禅」と呼びます。看話とは公案、つまり禅問答のことで、臨済宗では座禅と公案のそれぞれを大切に考えます。座禅をし、そして師匠から出された問いに対して考え抜く中で、本来の自己(仏心)に目覚めようと努めます。

一方の曹洞宗の禅は「黙照禅」と呼びます。曹洞宗では、ただひたすら座ることを大切にしています。何も考えず、何も求めずに、ただ座禅をする。修行の結果として仏になるのではなく、座禅や作務などの修行そのものが仏の行と考えるからです。

「臨済将軍」と「曹洞土民」

栄西や道元も、ともに比叡山で修行をして、禅に特化した仏教を広めていきました。両者の特徴として、臨済宗は鎌倉幕府や室町幕府の権力者と近い関係にあったのに対し、曹洞宗は一般民衆の間に広まっていきました。そのことから、「臨済将軍」「曹洞土民」と呼ばれました。

臨済宗の寺院は、「わびさび」と呼ばれる室町文化の開花に大きく寄与していますし、一方の曹洞宗は日本中にその教えを広め、いまでは15000もの末寺を有しています。この数は他の宗派を抜いており、曹洞宗は日本で一番寺院の数が多い宗派なのです。

2-5. 公案 固定観念を打ち破るための禅問答

曹洞宗にはない、臨済宗の大きな特徴の1つが公案です。公案とは、本来は師匠が弟子に与える問題のことで、要領を得ない問いに対して、弟子はその答えを考え抜くことで、悟りの境地に近付こうとします。公案の数は1700にも及ぶと言われていますが、その代表的なものをご紹介します。

隻手音声(せきしゅのおんじょう)

両手を打てば音がする。では片手ではどんな音がするのか?

趙州無地(じょうしゅうむじ)

ある僧が高僧である趙州に「犬にも仏性がありますか」と聞いた。すると趙州は「無」と答えた。その意図することは?

庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅ)

ある僧が、高僧である趙州に「達磨大師がわが国(中国)にやってきたのはなぜですか?」と聞いた。すると趙州は「庭前の柏樹だ」と答えた。その意図することは?

こうした問いの意味するところを弟子は考え抜くわけです。これらの公案にはさまざまな解釈があるので、興味のある方はウェブや書籍で調べてみてください。ただし、ただ解説を知ればよいというものではなく、師匠と弟子が直接問答し、考え抜くという体験にこそ、公案の意味があります。

3.臨済宗と禅文化

日本文化の代名詞とも言える禅文化。「わびさび」や「幽玄」という概念はいまもなお私たち日本人の美意識の根底にあり、海外からも特異なカルチャーとして評価されています。この禅文化と臨済宗の寺院とは切っても切り離せない関係にあります。

3-1. 五山制度(ござんせいど)

室町文化の栄華は、禅宗五山から始まりますが、まずは五山制度について簡単に解説します。五山制度とは、鎌倉・室町時代に定められた臨済宗の官寺(朝廷や幕府などから特別に庇護を受けた寺院)の寺格のことです。上位から五山、十刹、諸山と区別され、幕府の庇護を受けました。

平安末期から公家に代わって武家が台頭していきましたが、それまでの天台宗や真言宗のような従来の貴族社会で支持されていた鎮護国家としての仏教、あるいは災害や貧困に苦しむ庶民に支持されていた来世での往生を願う浄土思想などとは異なり、禅宗は、無神論的で自己を見つめる精神性とその新しさによって武家社会に広く受け入れられるようになりました。その中で、栄西は幕府に巧みに近づきながら、勢力を拡大して行ったのです。

五山制度はもともと中国の南宋で用いられていた寺院の庇護政策で、日本においても鎌倉幕府の北条貞時、建武の新政の後醍醐天皇、室町幕府の足利尊氏らがこれに倣い、五山を定め、臨済宗を庇護しました。

伝統的な公家文化と新興の武家文化の融合に加えて、宋や元との交流は禅僧を介して盛んになります。禅の教えだけでなく、政治、文学、建築、芸術などの最先端の中国文化が日本に流入するのです。そこから日本独特の禅文化が発展、深化していき、室町文化はこのようにして花開くのです。

3-2. 建築・庭園

鎌倉、室町時代の寺院建築や庭園には、「自然と自我が一体である」という、中国の老荘思想や禅思想に通じる世界観が色濃く反映されています。これまでの仏教寺院では華麗な色彩が施されていましたが、そうした装飾は禅宗寺院には見られません。平安時代の代表的な建築物には豪華できらびやかな寝殿造ですが、鎌倉時代に中国から禅文化が流入することにより、自然に調和するような「質実剛健」という言葉がふさわしい書院造への変化が見られます。

また、京都の龍安寺に代表されるような枯山水式の庭園も、禅における悟りの境地を表現していると言われています。

3-3. 書道・水墨画

中国から日本にやってきた禅僧、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)や一山一寧(いっさんいちねい)らは宋や元の書風を日本広めます。さらには書道と同じ手法で書かれる水墨画が広まったのもこの時代。有名な水墨画家に雪舟がいますが、彼もまた禅僧でした。

3-4. 茶道・華道

日本に抹茶文化を広めたのは臨済宗の開山である栄西でした。栄西は晩年に『喫茶養生記』を記し、茶の採取、製法から効能に至るまでを書き、三代将軍源実朝に献上しました。これがきっかけで武家社会にお茶の文化が広まり、栄西は「茶祖」と呼ばれているほどになりました。以降、村田珠光や千利休に代表される茶道の発展の足がかりになったのです。

また、どの宗派でも寺院の本堂ではお供えのお花(供花)を活けますが、禅の文化、特に茶道を経ることで、茶室や書院でも花が活けられるようになり、これが華道の源流となったと言われています。

4.臨済宗の仏壇仏具・法要マナーなど

4-1. 臨済宗の仏壇

臨済宗では特定の本尊を定めていませんが、仏壇で主に祀られるのは釈迦如来です。左右には普賢菩薩と文殊菩薩、あるいは達磨大師やその宗派の開山(宗派を始めた僧侶)が祀られます。その下に段にご先祖様の位牌を並べ、ご本尊とご先祖様の両方に対して礼拝します。

臨済宗の仏壇は、木目を活かした「唐木仏壇」が用いられることが多いようですが、最近では宗派の様式にとらわれない家具調仏壇や、コンパクトなサイズのモダンな仏壇もよく選ばれています。

4-2. 臨済宗の戒名・位牌

臨済宗の戒名はシンプルで、特別に梵字や冠字や置字を用いません。

上から順番に院号・道号・戒名・位号です。

  • (男性)◯◯院◆◆△△●●居士
  • (女性)◯◯院◆◆△△●●大姉

4-3. 臨済宗の数珠は

臨済宗の本式の数珠は、108個の主玉が連なる看経(かんきん)念珠です。看経(かんきん)念珠は曹洞宗でも用いますが、金の輪がないのが臨済宗、ついているのが曹洞宗です。

4-4. 臨済宗のお焼香

臨済宗では、特に焼香の数にこだわっていません。むしろ、香りの良いものを心を込めてお供えすることに意味があるとしています。その上で、もしも回数に迷っているのであれば一回でもよいという見解を示しています。この1回という回数には、「一に帰る」という宗教的な教え、さらには周囲の人たちへの配慮の思いが込められています。

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座禅は、いまでは世界中で支持されています。マインドフルネス瞑想の方法の1つとして、特にスティーブ・ジョブスが傾倒したことは有名です。そして、日本独特のわびさび文化は、自己の内奥にある仏性を見つめるという禅思想の表れとして発展しています。

この記事をきっかけに、ぜひとも臨済宗のお寺が行っている座禅会に参加してみてはいかがでしょうか? あるいは京都や鎌倉に観光に出かけた際には、禅文化に触れてみるのもいいでしょう。臨済宗という宗派について詳しく知る人はそう多くはないかもしれません。しかし、私たちの身の回りの文化の多くに、禅の思想が潜んでおり、その契機となったのが、臨済宗なのです。